園比屋武御嶽(スヌヒャンウタキ)
沖縄県那覇市首里真和志蔵町3丁目 地図

石門


交通
首里城守礼門前


神名
モジロキヨウニギリキヨウ
神名を分解すると みぢりきよふ大神、にぢれきう大主こてろま大神 となる。


由緒
 石門の前の掲示板
 石門とその奧の森を園比屋武御嶽といい、王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが、本殿に相当する建物はなく、石門の後の森がそれにあたると云う。
 石門の創建は尚真王時代の1519年。1933年に旧国宝に指定されたが沖縄戦で大破、1957年に復元され後に解体修理し、1986年完成した。
 石門は竹富島の西唐の作と伝えられる。石材は主に琉球石灰岩を用い板葺唐破風屋根を表す。屋根の飾りなどに日本と中国の様式を合わせて用いた沖縄独特の勝れた石造建築である。
   那覇市教育委員会   沖縄県教育委員会

 城内の十御嶽と同じ祈願を受けた。

 『琉球国由来記』に伝説がある。
 昔、国王がある大臣の家に行こうとしてこのウタキの前にさしかかると、一人の老翁が現れ、国王の前に進み出て、その家臣が逆心を抱いているから注意するように言って消えた。はたして、その大臣は勇力士を呼び、国王殺害を企てていた。神託によって危難を救われたというので、今に至るまで、国王が外出するときには必ずこの御嶽を拝礼するとある。

 「おもろさうし」巻七の一九
 又 おほつきみおほつきみや(天上聖地の神女は)
 大きみはいのて(聞得大君を祈って)
 しよりもり おれほしや(首里森に降りたがり)
 又 かくらかみくや(天上聖地の神々は)
 せたかこは のたて(霊力高き子(聞得大君)を祈って)
 またまもりおれほしや(真玉森に天降りしたがり)
 又 そのひやふ かなひやふは(園比屋武御嶽 金比屋武御嶽を)
 もりくすく けらへて(森グスクとして造りなし)
 あまれこの そこらしや(天降れ子が喜ぶ)

 旅の安全を守る神である。

石門の背後の森


 

たたずまい
 首里城の西北、安国山の南東端に位置し、首里城歓会門と守礼門と間にある王府直轄の御嶽。
 門の上に四角い小額をかかげ、「首里の王おぎやかもいがなし御代にたて申候、正徳十四年己卯十一月二十八日」とある。
 石門の後にイビ(奧の神域)がない。この御嶽の御神体は安国山と云われているが、『沖縄拝所巡り』によると、すぐ北にある金比屋武御嶽(城西小学校塀ぎわ)、もしくは伊是名島勢理客(いぜなじまじっちゃく)の「タノカミ御嶽イベ」が本体ではないかと思うとある。  祈れば必ず霊験があるといわれ、今も祈願に訪れる人が多い。

参考  『日本の神々13』、『沖縄拝所巡り』(比嘉朝雄著:那覇出版社)
2007.12.24


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