玉城城跡と雨粒天次御嶽
沖縄県南城市玉城字玉城 地図

玉城城跡の碑


交通
玉城集落の北西方。琉球ゴルフ倶楽部の南側。


神名
アガル御イベ、ツレル御イベ

雨粒天次御嶽


由緒
城跡入口の掲示板から。 
 この城は、別名アマヅツ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかではない。『島尻郡誌』では、「アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫即ち、天孫子であったと伝う」と記述している。
 城跡は、一の郭、二の郭、三の郭の三つの郭からなる段階状の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。
 一の郭は、東北東に自然岩をくり抜いた城門を構え、城内には「天つぎあまつぎの御嶽」(神名「アガル御イベ、ツレル御イベ)が祀られている。
 玉城村教育委員会  沖縄県教育委員会

 一の郭跡には拝所がある。『琉球国由来記』に、「此嶽者、城内ニアリ」とある「雨粒天次」にあたるとされている。この御嶽はアマミクが最初につくった聖地の一つ「玉城アマツッヅ」として見えている。

 「おもろさうし」巻一八の一七
 一 たまくすくおわる(玉城におられる)
 いちへきよらてたよ(素敵に美しい按司よ)
 此世 かけつめて ちよわれ(この世を支配尽くしてましませ)
 又 くにのねにおわる(国の根におられる)
 いちへき きよら てたよ(優れた美しい太陽よ)
とある。玉城の対語の国の根は国の中心地の意。

香炉


 

たたずまい
 一の郭への入口は岩壁をくり抜いたもの。
 郭内には拝所が複数所見られる。
 城郭全体がゴボウラ貝の形をしているとの指摘が名護博氏からあった。氏は「赤がね(銅)の世直し」と言う
HPを発信され、また『邪馬台国総合説 赤椀の世直し』を出版されている。

参考 。『日本の神々13』『沖縄県の地名』、『沖縄拝所巡り』(比嘉朝雄著:那覇出版社)
2007.12.25


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