ヤハラツカサ
沖縄県南城市百名 地図

ヤハラツカサ


交通
百名の海岸で浜川御嶽から浜に出る。


祭神
ヤハラヅカツノ御イベ


由緒
 アマミキョがニレーカネーの大東(ウフアガリ)の島から渡ってきて、上陸第一歩を印した海中の岩礁と伝えられ、いまに大東(東海楽土の地)へのウトゥーシ(遙拝所)となっているとされる。大東は東方楽土を想定しているが、具体的には久高島や日本本土を指すと云われる。
 海中の琉球石灰岩の柱は目印であり、その右側に岩礁がある。干潮時には露出するそうだ。
 ヤハラとはオモロ語の「やわれ」「やわる」と同義で、静かな、穏やかなとの意だそうだ。

背後の御嶽の尾根


 

たたずまい
 背後の御嶽の尾根には藪薩御嶽や浜川御嶽がある。『沖縄民俗文化論』の中で著者の湧上元雄氏は次のように述べる。
 「藪薩御嶽のもう一つのイビの名はムメギョラタチナリノ御イベ」と唱える。私見によるとムメはンニ(胸)と同根のンミのオモロ的表現で本来なだらかな稜線を描く丘陵をさす言葉であろう。
 ヤハラヅカサ辺りの海岸から見上げる、樹林に覆われたこの御嶽の尾根は、いかにもふくよかな女性の胸部を思わせる美しさがある。「ムメギョラタチナリ」尾根のたたずまいも美しい御嶽というたたえごとは、アマミキョの作ったと言われるこの御嶽にふさわしい神名であるまいか。

参考 。『沖縄民俗文化論』湧上元雄著、『沖縄拝所巡り』(比嘉朝雄著:那覇出版社)
2007.12.23


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