大嘗祭     神奈備 平22.10.3 

祭り
1 新嘗祭       天照大神 ← 天皇               新天皇の初めてを大嘗祭と言う。
2 神嘗祭      高皇産霊神 ←天照大神 ← 斎王 大物忌
3 顕斎        高皇産霊神 ←神武天皇 ← 厳媛

新嘗祭   天照大神 ← 天皇
○ 天皇が神々のミコトモチ(ご命令)によって、この国を稲穂のみずみずしく稔る安らかな
平穏な国とするようコトヨサシ(ご委任)を受けられた。
○ 天皇が新穀をまず天照大神にささげて感謝の奉告をした上で、これを神よりの賜りものと
して食する儀式である。
○ 天皇の生命の甦りをはかる。天皇は天照大神からミタマの籠もった稲魂をいただく。
○ 天皇が天照大神の霊威を頂き、天皇の資格を得るなり、自身の霊威を高める祭り。

神嘗祭      高皇産霊神 ←天照大神 ← 斎王 大物忌
○ 「斎庭の穂」は高皇産霊神のご命令によって、天照大神が皇御孫命にご委任給うたもの。
○ 皇祖の天照大神が御親ら聞食されること。
○ 天照大神が高皇産霊神と入れ替わる。天照大神の神威を更新。
○ この祭は新嘗祭に先んじて行われる。天皇は高皇産霊神の霊威を頂くことになる。


うつしいわい
顕斎         高皇産霊神 ←神武天皇 ← 厳媛
○ 神武天皇が「厳瓮の粮」を嘗されることによって天照大神より一段高い高皇産霊神になる。
○ 厳媛とは高皇産霊神を祭る巫女としての天照大神である。
○ 斎主としての天照大神の地位には厳媛と名づけた道臣命が奉仕。

◎ 神武を天照大神に、厳媛を斎王、に置き換えればそのまま神嘗祭。
◎ 高皇産霊神を天照大神とすれば新嘗祭になる。

神武天皇の丹生川上での顕斎
1.まず、榊を立てて諸神を祭り、 榊:高皇産霊神
2.次ぎに厳瓮の置物があって顯齋が成り立ち、 香山の埴土(倭の物実)で祭祀をする
3.道臣命も斎王としてこれを厳媛と名づけ、 男である道臣命を神格を持つ巫女とし、
4.火 水 米 薪 草 何れも「厳」を冠して、稲魂を炊き、 神聖な上にも神聖な扱い、
5.天皇が厳瓮の粮(おもの)を嘗された。 高皇産霊神が神武天皇に憑りつく。

記録 朱字は暗殺された、されかかった新嘗の日
巻一第七段本文 素戔鳴尊は天照大神の新嘗を見て、陰に新宮に糞をまく。
巻一第七段一書第二 日神の新甞之時、素戔鳴尊新宮の御席下に糞をまく。
巻二神代下第九段本文 高皇産靈尊は矢を投げ返した。新甞して伏せている天稚彦に当たる。
巻二神代下第九段一書第三 神吾田鹿葦津姫、其の田の稻を天甜酒を醸みて嘗す。
巻三神武天皇七十六年 手研耳命は片丘の大室の中でひとり床にふせっていた。殺された。
巻十一仁徳天皇四十年 新甞之月に当たって、宴會の日をもって酒を内外命婦等に賜る。
履中記 難波宮に坐しましし時、大嘗に坐して豊明したまひし時、大御酒にうらげて大御寝したまひき。
巻十五清寧天皇二年 大甞にたてまつる料に依りて、播磨國に遣わせる・・
巻十五顕宗天皇即位前紀 白髮天皇二年。播磨國司先祖の小楯、赤石郡で親ら新甞の供物を供える。
巻二一用明天皇二年 磐余の河上に新甞きこしめす。
巻二三舒明天皇十一年 新甞す。けだし有間に幸せるに新甞をもらせるか。
巻二一崇峻天皇五年 東漢直駒が天皇を暗殺。記では十一月十三日 新甞祭のの日。
巻二四皇極天皇元年 天皇新甞きこしめす。是曰、皇太子、大臣各自新甞す。
巻二九天武天皇二年 大嘗に奉仕する中臣、忌部及び神官人等、あわせて播磨、丹波の二國郡司、
また以下の人夫等に悉に禄を賜う。よりて郡司等に各爵一級を賜う。
巻二九天武天皇五年〜六年に記事あり。
巻三〇持統五年 十一月戊辰。大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋讀天神壽詞。
3386 にほ鳥の葛飾早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも
3460 誰(たれ)そこの屋の戸押そぶる新嘗(にふなみ)に我が夫(せ)を遣りて斎(いは)ふこの戸を
『西宮記』(10世紀後半) 天皇着天羽衣、浴之如常。

考察
  天照大神は媒体であって、天皇に高皇産霊神の霊威を付着させる為には豊受大神でも何ら差し支えはない。
  むしろ豊受大神の方が五穀豊穣の神であり、新甞に相応しいのではないか。
  天皇が天羽衣を身につける行為は、『丹波国風土記逸文』の羽衣を身につけていた天女が豊宇賀能売命であることを考えると、『西宮記』にもそのような考え方があったのではないか。

参考 大嘗祭の世界  真弓常忠
大嘗祭の始原  工藤 隆
以上

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