Uga ひむかえ ひおくり 聖徳太子と日想観



1.厩戸の年表
574 敏達3 誕生。父は用明天皇。母は穴穂部間人皇女(欽明天皇と小姉君との皇女)
587 崇峻元 蘇我馬子が物部守屋を討滅。厩戸、守屋討伐軍に参加し、四天王寺を発願。
   厩戸の舎人とされる迹見赤檮が守屋を射殺した。厩戸が殺したも同然。
   物部守屋邸跡の森ノ宮に四天王像を置く。
593 推古元 厩戸、難波の荒陵(大阪市天王寺区)に四天王寺を移す。
   厩戸が立太子して摂政となる。
600 推古8 遣隋使を派遣。「倭王は天を兄とし、太陽を弟としている。」煬帝 「道理なし。」
601 推古9 斑鳩宮を建立
603 推古11 冠位十二階を制定
604 推古12 憲法十七条を制定
605 推古13 斑鳩宮に移る
607 推古15 遣隋使を派遣。日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。
611ー615 この間、仏教書を記述
620 推古28 馬子と議り、天皇記、国記を記録
622 推古30 斑鳩宮で逝去

五戒

不殺生戒 不偸盗戒 不邪淫戒 不妄語戒 不飲酒戒


2.太陽は西方の穴に棲んでいる。
シュメール 西山に没し、山脈の裏を廻って朝、東の山から現れる。
エジプト、 西山に没し、朝、東の天に出るまでに、夕の門と朝の門を通る。
沖縄  西方の太陽の崖に落ちた太陽は、地底の底を通って東方のテダガ穴から再び生まれる。

二見浦から昇る朝日

二上山に落ちる夕日

四天王寺の夕日



3.沈む太陽  仏教伝来後、落日への信仰が明確化。
人は日の出を尊ぶ。猿は日の出前に騒ぐ。
阿弥陀仏  二五人の菩薩をともなって、雲の彼方から浄土へ迎えにやって来る。
日想観   荘厳な落日の中に仏を感じる。浄土を観想するために、西に向かって太陽の没するのを観想すること。
四天王寺  彼岸の中日に落日が門・鳥居の真中に涼む。太陽の穴。
出雲大社  御神体は西向き。
物部神社  出雲大社より更に西方の石見に鎮座。
二上山   太陽の穴に帰って行く。男岳・女岳は夫婦岩。

4.ひむかえ ひおくり
天孫降臨 「朝日の直さす国、夕日の日照る国なり。かれ、此地は、いと吉き地」
丹生大明神告門 「朝日奈須輝宮夕日奈須光留宮」


欽明天皇の皇子達

小姉君の子達の運命
 茨城皇子 伊勢齋宮である磐隈皇女を犯して皇位継承から離れる。死亡年不明。
 葛城皇女 死亡年不明。
 穴穂部間人皇女 厩戸の母、孫の山背大兄皇子の一族は蘇我入鹿に滅ぼされた。
 穴穂部間人皇子 皇位を狙って物部守屋と結託するも蘇我馬子に殺された。
 泊瀬部皇子 崇竣天皇、蘇我馬子が東漢駒に命じて暗殺。 

5.日の御子の戦い
蘇我稲目の娘は堅塩媛と小姉君。何故、君か? 小姉君の血をひいた穴穂部皇子・崇竣天皇・山背大兄皇子は蘇我氏によって滅ぼされている。穴穂部間人皇女は戦乱を丹後の逃れている。穴穂・穴太は天理市や八尾市に地名があり、物部の匂いがする。厩戸は物部・海部の血をひいているはず。
厩戸は、馬子に担がれて守屋討伐軍に加担。守屋殺し。仏教の教えの一番「不殺」を犯してしまった。
『天皇記』『国記』を編纂することになる厩戸は、物部は天神の末裔で日の皇子であることを知る。
さらに、物部・海部は継体擁立の立て役者。同族であった物部守屋を殺したことに畏れおののいた。

蘇我馬子は物部守屋の妹を娶っている。守屋が滅び、物部の財産は入鹿の妻のものとなった。莫大な財産である。蘇我馬子が飛鳥寺を造る前に守屋は渋川寺を建立している。排仏派ではなかった。
物部の財産を狙った馬子にまんまと騙された厩戸には絶望的な思いが襲った。
仏教徒として不殺生戒を犯し、さらに守屋の亡霊・祟りに脅えることになった。

6.四天王寺
物部守屋邸跡に四天王像を置く。戦勝祈願のお礼ではなく、守屋鎮魂が目的。しかし鎮まらない。
『平家物語』守屋が数千万羽の啄木鳥となって、堂舎をつつき滅ぼさんとしたので、太子は鷹と変じて、かれを降伏し給へる。現在の金堂に鷹止まりが設けられている。

四天王寺は阿弥陀仏の浄土の入り口。森ノ宮から荒陵へは夕陽の景観を求めて移転。守屋と云う日の皇子の鎮魂。更に、四天王寺本堂北西の柱に守屋の首を納めた。守屋祠を置き、西に鳥居を置く。

厩戸は、守屋の神霊を、落ちていく夕日に見た。守屋の成仏を祈った。

 中山寺
   厩戸が守屋鎮魂のために建立したとの伝承がある。

7.森ノ宮神社
守屋邸跡の四天王を荒陵に移した後、用明天皇、穴穗部間人皇后を祀り、守屋の怨霊の鎮めとした。

8.善光寺
物部守屋は、蘇我氏が祀った阿弥陀三尊像を捨てたが、本田善光が拾い、長野に運んだ。
所が、本尊は秘仏、内陣中央には守屋柱が峙立している。
真南に鎮座する諏訪大社の神体山は物部守屋山、神は洩矢神。

9法隆寺
厩戸が竜田大社に場所を聞き、斑鳩の地に建立。裏鬼門に竜田神社、その裏山に守谷池がある。

10.物部神社
出雲大社より西の石見に設置されている。 創建は継体朝とされているが、もう少し後かも知れない。

11.600年の遣隋使の時に、煬帝から、「天は別格、全世界を支配する皇帝を指名する唯一絶対者。」
とさとされた。厩戸は「天」を考え始めた。日に天がまさる、日の皇子より、天の皇子を目指すとの悟り。

12.607年には、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々。」との文面となった。
天子とは、天に指名された世界を支配する皇帝のことで、世界に一人だとの立場を崩した。
これは、朝鮮半島を支配する権限を倭国に認めさせることとなる。雄略以来の悲願。

13.厩戸の悟り
倭大王家は、天子を輩出する家系であり、物部など日の皇子を超越した存在と悟った。
ここに厩戸は、吹っ切れたのだ。これでいいのだ。

14.付録 物部守屋の伝承
近江国浅井郡 波久奴神社
蘇我・物部戦争で、死んだのは部下で、守屋は当地に潜匿し、萩生翁と自稱した。
日向国諸県郡 森神社
物部守屋は一門一家を伴い身を遁れて大隅に亡命したと云う。
播磨国印南郡 生石神社(おうしこじんじゃ)
聖徳の王の御代に弓削大連(物部守屋)が作った石であるという。
摂津国西成郡 澪標住吉神社 祭神の一柱に、「釼大連守屋」がある。クセノン
広隆寺と大酒神社
物部守屋の建立との伝承がある。木島坐天照御魂神社が物部の神社である可能性は十分。

以上

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