1.衝き立つ船戸の神(来名戸の神、岐神) 『古事記』
性神の気配がある。衝き立つは男根を思わせる。
出雲の富氏の家伝(抄)
大祖神である来名戸の神は、紀元前2000年頃、寒冷化でアジア大陸から列島にやって来た。
列島の日本海側を南下し、出雲に到着した。来名戸の神は導きの神であった。
出雲最古の熊野大社の摂社伊邪那美神社に岐神が祀られている。
来名戸の神の後裔が大国主、その末裔が富氏ということになる。トミ?
出雲国が富み栄えたので、侵略。侵入してくる者などが多くなり、「来るな」の神に変質したか。
出雲の先進技術を持った人々は請われたり、拉致されて、各地に弥生文化を広めていったのでは。
出雲井神社伝 国譲りの後、岐神は出雲国内を天照大神の使者を案内したと言う。。
2.来名戸の神の分布と狗奴国の候補地
地域別の来名戸を祭神とする神社数ベスト5狗奴国の候補地
上野 29下野 4関東の一大勢力 毛野氏。ケヌ。
伊勢 29美濃 9狗奴国、伊勢湾沿岸説は有力。桑名首都?
吉備 50安芸 11邪馬台国を吉備、大和を狗奴国とする説もある。
讃岐 23伊予 14阿波を含めて古代史に重要な地位を占める。
出羽 23陸奥 17対蝦夷の守り神としての岐神か。
邪馬台国大和説での狗奴国の有力な候補地として、吉備、東海、関東があるが、ここが浮かび上がっている。
その他の候補地の岐神 出雲 1 和歌山三重の牟婁 1 鹿児島熊本 3
3.倭王武の上表文(『宋書』 487年)
昔より祖禰は、躬(み)に甲冑を貫(まとい)て、山川を跋渉し、寧(やすらか)に處(お)るに遑(いとま)あらず。東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。
「祖禰」は「祖父である禰」の意味で、「禰」は雄略天皇の祖父にあたる仁徳天皇とする説がある。
一代の大王が列島と半島を統一したと見るより、歴代の大王達の事業の積み重ねと見るべき。
大陸では「禰」は父の霊をまつる廟を指すので、「祖禰」は「祖先以来」を意味する。
4.ヤマトタケル
雄略天皇はワカタケルと呼ばれていた。かってタケルと呼ばれた英雄がいたとの伝承が残っていいたからこその呼び方である。 (豊歴 平林章仁氏講演から)
『古事記』に、景行天皇の妃として、「倭建命の曽孫(ヒヒコ)、名は須売伊呂大中日子王の女である訶具漏比売(カグロヒメ)をを娶して生みましし御子、大枝王。」とある。
系譜 倭建命−○−○−須売伊呂大中日子王−訶具漏比売 = 景行天皇が娶る。
この系譜の倭建命は欠史八代の末頃の人物となる。邪馬台国の時代である。
ヤマトタケルは日本統一の為に戦った皇族将軍の習合体とされており、これには、邪馬台国の時代のタケルも含まれていると思われる。まさに邪馬台タケルである。
3世紀後半の出来事が5世紀後半の雄略天皇の時代に臣起こされ、8世紀初頭に『記紀』にまとめられた。ヤマトタケルの物語から、邪馬台国と狗奴国との戦いの様子が窺えるといいが。
吉備東征のお供。 吉備臣の祖、御?友耳建日子
伊勢大神宮 姨の倭比売、草薙剣を与える 倭比売は卑弥呼のイメージ。
尾張国 重要な地域と思われる。美夜受比売の家に入る支配下に組み込む。
相模、武蔵、甲斐、科野 火に囲まれたり、弟橘比売を失ったり。古代的戦い。
伊勢の能煩野で逝去 悲劇のヒーローになった。
以上
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