大嘗祭とモガリ     堀内美希 平成22年10月3日 

           参考 (折口信夫「大嘗祭の本義」、谷川健一「大嘗祭の成立」より)


大嘗祭とは:

暦、モガリ、即位礼が大陸の影響を受けたのは、継体・安閑・欽明ごろ。それ以前の大嘗祭について考えてみる。
→魏志倭人伝「始め死するや喪をとどむるに十余日、時にあたりて肉を食わず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す」(モガリ)「既に葬れば、家をあげて水中にいたりて操浴し、以て練沐の如くす」(ミソギ、再生)とある。
 →南島にヒント。八重山に太陰暦が伝わったのは元禄十一年(1698)と遅い。岩陰か洞窟に風葬し、死者が出ると近親者や友人が歌舞する


★ 王位継承儀礼のもともとの形
・ 原始古代に死者の活力を自分の身につける最も確実な方法は、死者の肉を食い、その骨をかじること。。。死んで間もなく(まだ魂がいる)モガリにある死者と共寝してその魂の復活を願うとともに、死者の活力を受けつぐ。


★ 新嘗のもともとの形
・ 初穂儀礼(南島、マレー等)ではないか。初穂儀礼の手順は以下の通り
@ 一家の主婦が田から初穂を家に持ち帰る
A その初穂を嬰児にみたて、主婦が寝具にくるんで添い寝をし子稲の稲魂の誕生と生育を見届ける
B 初穂を炊いて神に供える
C そのあと家族や親戚にもわけて食べる
  大昔の新嘗の夜、主婦は物忌み=産褥にある女。産屋に籠った出産の模擬行為。
  冬至は太陽の力が最も弱る時期。大嘗祭は冬至の近くである11月の中卯の日。新嘗祭は魂の復活の儀式。
  冬から春へ。収穫へ。


★ 大嘗祭のまどこ・おふすまの意味
@ 初穂儀礼のとき、新しく生まれた子稲の稲魂のすこやかな生育を促すための添い寝の寝具
A 冬至の日の魂の衰えを克服し、活力を蘇らせるための前段として喪をかぶること(喪屋)
B 密閉した部屋にこもって誕生する産屋
C モガリの死者と同衾してその威霊をひきつぐため


★ 喪屋(モヤ)について

・ 沖縄では葬式の時豚肉料理を振る舞う。昔は死人がでると、親類縁者が集ってその肉を食べたことの名残。今日でも近い親類を真肉親類(まっししおえか)といい、遠い親戚を脂肪親類(ぶとぶとーおえか)という。
・ 本州でも葬式に行くことを「ホネガミにいく」「ホネカジリにいく」とよぶ。大分は葬式の加勢にいくことを「ホネコブリ(コブル=しゃぶる)にいく」という。五島では夜泣きする子には33回忌を過ぎた祖父の骨を墓場から掘り出し、醤油をつけて焼いて食べさせると治る。活力を受け継がせる。


★ 大嘗祭におけるモガリ

・ 亡くなった天皇から新しい天皇に威霊をうつしかえるため、先帝の骸と同衾する=まどこ・おふすま。実際むかしは先帝がモガリの宮にいるときに大嘗祭→即位式だったのではないか。モガリにおいてモガリ後、モガリの宮が取り壊されるように、大嘗祭においても大嘗宮をただちに取り壊す。天皇の再生と復活の象徴。


★ ウズメ
 ・大嘗祭における遊部(あそぶべ)はウズメ。この鎮魂によって魂がつかなくてはならない、復活の儀礼。
・ 天若日子の喪屋の記事『古事記』では「雀女を碓女と為」。『日本書紀』では「雀をもって臼女とす」とある。臼を搗いて復活を促した。臼を杵で搗く=生殖行為の象徴。魂の復活。アマテラスの岩戸開きで、ウズメは空の桶をふせて踏み轟かせる(臼?)。ちまきの矛=杵?。天若日子の碓女(ウスメ)→ウズメ? 
・ 遊部の系統:モガリ宮内に奉仕して挽歌を奉る。ウズメー碓女-柿本人麻呂(挽歌)シノビゴト

ウガネット 発表録

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