月読神について

1.月読神とは


『古事記』 三貴子の一、夜の食国の統治を命ぜられる。

『日本書紀』本文 日神についで月神、蛭兒、素戔鳴尊が生まれた。日神と月神は並んで高天原を治めるようになった、

『一書第一』 諾尊が左手に白銅鏡を持つと、大日孁尊が生まれ、右手に白銅鏡を持つと月弓尊が生まれ、首を回すと素盞嗚尊が生まれた。大日孁尊と月弓尊は天地を照らし治められた。
『本文』 諾尊、黄泉の国訪問の後。左の目を洗うと天照大神。右の目を洗うと月読尊。鼻を洗うと素盞嗚尊が生まれた。諾尊は「天照大神は高天原を、月読尊は青海原を、素盞嗚尊は天下を治めなさい。」と言われた。

『一書第十一』 諾尊は三柱の御子に命令した。天照大神は高天原をおさめよ。月夜見尊は日と並んで、天のことを治めよ。素盞嗚尊は青海原を治めよ。

『続日本紀』巻卅二宝亀三年(七七一)八月甲寅《己酉朔六》◆八月甲寅。幸難波内親王第。是日異常風雨。拔樹發屋。卜之。伊勢月讀神爲祟。

 『紀』高天原での出来事
 天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神に会いに行けと行かせる。
 保食神は珍客として口から食物を出して、これをご馳走としてもてなそうとした。これを見ていた月夜見尊はけがらわしいものを食わせると保食神を斬り殺した。
 すると、保食神の体の各部から作物が発生した。天照大神は天熊人を遣わした。天熊人は作物を全て持ち帰った。天照大神が喜んで言われるのは、「この物は人民が生きていくのに必要な食物だ。」と。
 天照大神は月夜見尊を乱暴者としてあいたくないと言って、日と月は昼と夜に別れた。


 この神話には、いくつかの背景がある。

 1.太陽が支配者で、月に命令していた。王権と太陽のむすびつき。

 2.太陽と月は仲が悪い。

  インド東部・中部の少数民族からマレー半島・インドネシアあたりの伝承。太陽も月も多くの子供がいた。太陽が子供をつれて上がってくると、ものすごく暑くなって、たまらない。そこで月が太陽に、お互いに子供を食べてしまおうと提案した。太陽は子供を処分してしまった。月は懐に子供を隠した。夜になると月は子供をすなわち星を引き連れてあがってくる。だまされたと太陽が怒って、いつも月を追いかけるのだ。この話しは、カリフォルニアや西アフリカにもある。
月の出は毎日約1時間遅くなっている。→ 太陽が追いかけている。

 3 保食神を殺した悪神である月読神とは顔も見たくない。夜と昼とが別れた。
  本来、別々にいるものが別れた。秩序の確立。作物の誕生と言う文化が自然界を秩序だてた。

 4 月による保食神の殺害が契機となって、作物が出来た。月と豊穣が関係する。



2.三貴子 
三人兄弟説と日食月食神話


インドネシア  太陽と月とラーフは兄弟。毎日修行僧が来ると、太陽は金の鉢で米を与えた。月は銀の鉢で与えた。ラーフは錫の鉢で与えた。このため、ラーフだけが光らない星となった。兄達の幸運を妬んで、彼らを飲み込もうとするので「食」が起こる。または懐かしくて会いに来て兄達を抱擁して、口が大きいので飲み込み、すぐに吐き出すので「食」がおこる。

ビルマ  三人兄弟が一緒に食事をしたが、末の弟は自分の分け前以上にカレーを食べてしまった。このため空腹であった兄達は立腹し、シャモジで弟の頭をぶった。三人は喧嘩をしている間に天に上げられて、太陽と月と暗い遊星になった。今でも時々喧嘩するので、「食」がおこる。

 このように、インドシナの神話は三人は兄弟である。「食」と天岩戸神話も類似している。

日食についての、北アメリカのエスキモーからブラジル南部なで広がっている伝説
 太陽と月はもともと姉弟であった。月が夜になると、姉の元へ通っていた。姉は誰だろうと思って、体や顔に煤をつけたりした。朝になると、それが弟だと判った。それで姉は天に昇り、太陽になった。弟は月となって、いつまでも太陽の後を追いかけた。追いつくと日食が起こる。
 離れていなければならない日と月が接近すると、日食や月食が起こる。ヨーロッパ、インドネシア、中米、ポリネシアなどに伝播している伝承である。夫婦の交わりや逆に喧嘩と見ている。本来離れているべきものが接近するので、凶々しいことと考える。

 第三者が日食や月食を起こすと言う観念から、太陽と月の重なりで「食」が起こると言う観念の方よりよく観測していると言える。



3.月と芋


  お月見  一五夜に里芋とだんご(里芋の子芋の形にするため一方をとんがらす)を供える。
 この祭りは芋神さまの祭りとも言われ、 芋の生まれ日とする。月を里芋の親として崇める。
 稲作が広まる以前の我が国では何千年もの間里芋が主食だった。芋神である月から生まれたと信じられていた。誠にありがたい母神であった。古い信仰の名残が今の習俗に受け継がれている。

 縄文中期、里芋は太古に殺された女神から生じたと信じていた。女神を象った土偶を壊してその体から作物を発生させる祭り。妊娠している姿があり、ありがたい母神が、月の女神の性質を持っていると信じられた。。




モルッカ諸島 ウェルマーレ族の神話
 太古の祖先達の間に、三人の処女がいた。ハイヌウェレ、サテネ、ラビェと呼ばれた。

 
月のラビェ神話
 当時の空には太陽だけがあって、月や星がなかった。太陽はある時、醜男になって地上に降りた。すぐにラビェを見初めた。両親の家を訪ねて結婚の申し込みをした。両親は断るために膨大な財産を持ってくれば認めようと言った。醜男はあっさり承知して三日後に迎えに来ると言って帰やって来た醜男は財宝を渡した。祖先達はラビエの寝室に案内した。騙されたっていった。この話を聞いた祖先達はラビェを村の外に隠して、屠殺した豚にラビェの着物を着せて寝かせておいた。やって来た醜男は財宝を渡した。祖先達はラビエの寝室に案内した。騙された醜男は財を取り返して帰っていった。数日後、ラビェが用便のために木の根の上に立った。すると、木の根は沈み始め、ラビェは地中に飲み込まれていった。祖先達が集まってきて、土を掘って助けようとしたが、死んでいくのを止めることはできなかった。ラビェは、豚を殺して祭りをし して三日後に空を見てください。私がみんなを照らす光となって現れるでしょう。
 三日後に日が暮れたら西の空に最初の満月が見られた。

 
里芋のハイヌヴェレ
 椰子の実のように独りの女の子が生まれた。アメタは椰子の枝を意味するハイヌヴェレと名づけた。急に成長して三日後には娘となった。彼女の大便は高価な品物だった。この村でマロ祭りが行われた。男達が九重のらせん状になり、中央の女性達が踊り手達にびんろう樹の実とシリーの葉を渡した。シリーはキンマ。

 二日目もハイヌヴェレは中央に立っていたが、びんろう樹の実とシリーの葉を渡さずに、サンゴを与えた。

 三日目は磁気の器。このようにして七日目は黄金の耳環、八日目はきれいな銅鑼を配った。男達はねたましいより薄気味悪いと思い、殺そうと相談した。踊る広場に深い穴を掘っておき、踊りの輪を縮めていって中央のハイヌヴェレを穴の所に導いた。穴に投げ込み、上から土をかけ、それを踊りながら踏み固めた。

 踊りが終わっても、ハイヌヴェレが帰ってこないので、アメタは殺されたと思い、広場に探しに行き、埋められた場所を見つけ、遺体を掘り出した。娘の遺体を切り刻んで、広場のあちこちに埋めた。埋められた遺骸からそれまでにはなかった様々な種類の芋が生じた。それが人間達の主食物となった。

 
死の国のサテネ
 ハイヌウェレが生き埋めにされて殺されたので、サテネは、殺した者達の多くを、野猪や鹿や鳥や魚や多くの精霊に変えた。これらは地上や海にに住むようになった。
 次に、サテナは私は今日ここを去ると言い、動物や精霊に変えられなかった人間は、再びサテネと合うためには、死んでから困難な度をしなければならないと言った。
 それから、サテナはこの世を去った。死者の国の支配者になった。 

 この三柱の女神達は、一柱の女神の三つの側面と考えられている。月であり、芋であり、死の国である。



4.月夜見尊と保食神

 月夜見尊が保食神を殺したので、五穀の種が神々の手に入り、人間が生きていけるようになった。
 『古事記』では、素盞嗚尊が大宜都比売神を殺す話になり、あまりにも唐突な話で、神話的な意味を感じにくい。
 日本神話では、月読神と素盞嗚尊とで混乱を見せている。『紀本文』では素尊が根の国を支配するとなっており、先の神話の月が死の国を支配するのとの差異が見える。また、海原を支配するのも素尊であったり月読神であったりしている。また蛭子と素盞嗚尊との混乱もあるようだ。




5.月と水と海と船


『日本書紀』(一書第六) 伊弉諾尊は月讀尊に滄海原の潮之八百重を治めるように言った。
『万葉集』 巻十 二〇四三 秋風の清(さや)けき夕へ天の川舟榜ぎ渡る月人壮士(つきひとをとこ)
『万葉集』 巻十 二二二三 天の海に月の船浮け桂楫懸けて榜ぐ見ゆ月人壮士



 
月と水・雨の観想
  月の冷たい青色は水を思わせる。月夜の明けには露が降りることや、月に群雲や暈で雨が降ることを知っていた。
 月の影法師神話 月の中に水桶を担いだ男がいるように見えること。これが水を運ぶとされた。
 雨がやんで月がおぼろに見える夜、怪異が現れると言う。上田秋成が雨月物語のネーミングにこれを使ったと言う。

 
月と海、船
  海人や漁民は月が潮の盈虚を司っていることは承知していた。
  三日月の形は船を思わせるが、海や水の神は船の神にもなる。
 比較的高度な文化の民俗が月と海潮との関連を把握。



月神を祭る古社 多くは海人の根拠地に鎮座していた。
伊勢国 内宮別宮 月讀宮
外宮別宮 月夜見神社
内宮摂社川原神社
魚海神社二座
外宮摂社川原坐國生神社
丹波国 小川月神社 伊勢からの勧請
出羽国 月山神社
 出羽国の国魂、八幡神の本地仏である阿弥陀如来が本地仏となった。
出雲国 賣豆紀神社 女月神 海浜に鎮座
信濃国 大伴神社 海からここへ月神が馬に乗って登ってきた。海人伝承。
壹岐嶋 月讀神社 高皇産靈神が祖神である。
山城国 葛野坐月讀神社 壹岐嶋からの勧請
薩摩国 月読神社 桜島噴火の前に三体の月が降臨したと言う。和銅年間創祀と伝わる。
山城国 月讀神社 隼人によって祭祀された月神
 山城国 樺井月神社 樺井の渡しの守護神。祈雨祭神八五社の一。
紀伊国 熊野坐神社 大斎原のイチイガシの木の梢に三枚の月の形となって降臨。
豊前国 八幡大菩薩宇佐宮 月の輪のごとく示現
筑後国 高良玉垂命神社 月神と呼ばれた。神功皇后の船を先導。



神功皇后三韓征伐の船を先導した神
紀 表筒雄。中筒雄。底筒雄 向匱男聞襲大歴五御魂速狹騰尊 ムカヒツオモオソフイツノミタマハヤサノボリノミコト
伏見神社 神功皇后の妹の淀姫命
高良大社 月神(高良玉垂神) 夜明け前の左弦の月はあたかも日神を先導。
唐松古記録 船玉明神
播磨国風土記 伊太代神(五十猛神)
志賀海神社 安曇磯良(常陸国では鹿島大明神、大和国では春日大明神)
城南宮 八千矛神


6.月と不死


『万葉集』 巻十三 三二四五 天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読(つくよみ)の 持たる変若水(をちみづ) い取り来て 君に奉りて 変若(をち)得しむもの

正月の若水
 元日早朝に年男(一家の主人か長男)が井戸水を汲み、歳神への供物や家族の雑煮などの 煮炊きに使う。

宮古島の伝承
 アカリヤザガマが変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで人間界に来た。
「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもり。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。
 この男は永遠に桶を担いで月の中に立たされることになった。

沖縄の水納島
 水を蛇と蜥蜴に先に浴びられて少なくなった。人間の爪にしか掛けることができなくなった。

人間の死の起源は月にあるが、月そのものは不死である。盈虚(みちかけ)は蘇りである。
月は不死とされている。従って月は生死に関わる神であり、人間の生死を司る。
この信仰と、「月と水」の信仰が混ざって、変若水・死に水の源とされた。

以上



7.三種神器と三貴子


 『古事記』天孫降臨 八尺の勾玉 草薙剣 鏡
 『日本書紀』八坂瓊曲玉 八咫鏡 草薙劒 三種寶物

  三種宝物と三貴子とは対応しているとされる。鏡は日神、玉は月神、劒は素尊である。鏡と劒は弥生時代以降登場であるが、玉は縄文時代に遡りる最も古い宝物で、倭人の信仰においても、月神が最も古いことに対応している。

  皇位継承に剣と鏡が献上された例は、継体、安閑、持統に見えるが、玉が献上されたことは書かれていない。天皇家の家長の継承に内輪で相続されているとの説がある。今日まで古来の玉が現存すると言う。壇ノ浦の海から回収されたのである。

  『紀』では穀物をもたらした重要な神としている以外に、記紀ともに月神ことについて多くを語っていない。皇室の奥く深くに伝わってきた重要な宝物ー八坂瓊匂珠ーについてとやかく語るべきではないし語るべき事を持たないと言うことであろう。

         以上

参考文献
『縄文宗教の謎』『世界の始まりの物語』吉田敦彦
『世界の神話をどう読むか』大林太良
『太陽と月』日本民俗文化体系

神奈備にようこそ
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