UGA 尾張の国と日本武尊

1. 尾張氏
 継体天皇に続いて安閑・宣化が大王位に就きました。尾張連草香の娘の目子媛が生んだ皇子達です。この目子媛か草香を埋葬した古墳が断夫山古墳で東海地方で最大の前方後円墳です。熱田神宮の側にあります。熱田神宮には倭王権の象徴である草薙剣が祀られています。継体擁立に尾張氏の力が大きくかかわったことと結びついている思います。
江戸時代の草薙剣の検分記録では銅剣だったそうです。弥生時代のものでしょう。
また、継体朝の頃に出雲西部が大和王権に服属したとされており(和田萃)、八岐大蛇神話が畿内に伝わったのでしょう。
 王権の象徴としての伊勢神宮の八咫鏡も弥生時代の筑紫の平原墳墓から出た銅鏡と同じく最大の大きさのものと伝わるっています。
 倭王権の歴史が弥生時代に遡ることを示していると思われます。邪馬台(ヤマト)国からつながっている王権なのでしょう。

2. 倭王武の上表文 『宋書』倭国伝 から
 わたしの国は,はるか遠いところにあって,宋からいえば海外の国になっています。わたしの父祖たちは,みずからよろい・かぶとに身を固め,山や川をわたり歩いて,おちついて休息するひまもありませんでした。そのおかげで,東では蝦夷の55か国を平らげ,西では熊襲の66か国をおさえ,さらに海をわたって朝鮮半島の95か国をしたがえました。(以下略)

3. 雄略天皇
 大泊瀬稚武天皇と称され、幼武尊であった雄略天皇には、往古の日本武尊の伝承が伝わっていたから、先の上表文を書くことが出来たのでしょう。その成果と志を受け継いだという自負が雄略天皇にありました。

4. 日本武尊と尾張
日本武尊関連の神社の分布図が春日井市の民俗考古調査室作成のものを示します。これを見ますと、尾張と関東が目立ちます。尾張を拠点として関東のまつろわぬ者達をことむけたものと考えることができます。
 先ず、関東へのことむけの旅は、尾張の宮簀媛の下からであった。また、伊吹山への遠征も宮簀媛の下からとされています。
 勿論、日本武尊の本貫の地は大和であり、東国へは伊勢を経由して尾張からとなっており、大和への帰路も尾張から伊勢に行き、最後を迎えています。

ヤマトタケル関連神社の分布
春日井市考古民俗調査室作製

5. 尾張、その他。
邪馬台国と対立していた狗奴国は尾張地方にあったとの根強い説があります。

 景行天皇の頃は、すっきり全国が倭王権によって統一されていたとはかんがえられません。徳川時代から明治時代を経て統一国家になったのでしょう。
古墳時代になっても狗奴国の後裔国が関東に跋扈していたことでしょう。これらをことむける努力がなされて来たことが日本武尊の物語として語られたものと思われます。

6. タケルについて(武、猛、建、梟帥)
 『記・紀』に登場するタケル群像を示します。

 

建速須佐之男命 古事記の表示 速須佐之男命 須佐之男命 もあります。「速」は、疾風や急の意味で、やはり力強いの形容と思われます。勇猛迅速に荒れすさぶ神。

武甕槌神 大国主に國譲りを強制した天津神。
建御名方神 大国主神の御子神、科野国の州羽に鎮座。古事記にのみ登場。

五十猛神 素戔嗚尊御子神、植樹の神とされますが、坂上田村麻呂が五十猛神と日本武尊を祀ったとされる神社が横浜市保土ヶ谷町の杉山神社の伝承にあり、福島県双葉町の?野(くさの)神社の伝承では、日本武尊が五十猛神を祀ったのが創祀と言います。このように五十猛神を武神とする根強い伝承があったと思われます。しかし、『紀』では、植樹を行った神としか出てきません。柳田國男翁はイタケルの神のイタケをアイヌ語のItak と見て、意味をto say、言うとか荘重に「かくのごとく言えり」とされています。『古事記』三貴子の条に伊邪那伎大神が天照大神に与えた御頸珠の名を御倉板挙之神と言っています。
みくらたなの神とされますが、板挙之神をイタケの神と理解しています。柳田翁は、「この板挙之神は古註に多那と訓めあれど義通ぜず。おそらくはイタケの神にして、姫神が父神を拝祀したもうに、この遺愛の物を用いたまいしことを意味するならん。また紀州の国幣中社伊太祁曽神も社伝には日前・国懸の二神斎祀の時に現れ来たまえりといえば、すなわち一種の斎の神なるべし。」と述べています。すなわち、板挙こそ五十猛神との主張です。御子神・若宮は荒魂であると同時に親神を祀り。親神の神意を託宣する神でもあります。

建葉槌命 天津甕星を退治した倭文神の祖。これも織物の神です。

日照命  天穂日の子

皇祖
彦波瀲武鵜草葺不合尊 神武の父。
大泊瀬稚武天皇 雄略天皇
日本武尊。
稚武王 日本武尊の子。

地方の武力勢力の長 殺される側。
磯城 八十梟帥  梟帥とは武勇ある者の集団に名付けたもの。
葛城邑 赤銅八十梟帥。
熊襲 八十梟帥。
川上 八十梟帥。
出雲建 飯入根のことを唄った歌に登場。

皇族将軍
稚武彦命 吉備臣の先祖 孝霊天皇の皇子。
武埴安彦 孝元天皇の皇子 崇神天皇の御代に反乱。
武渟川別 四道将軍の一。東海におもむく。 阿倍臣の先祖。
武渟川別 孝元天皇皇子の大彦命の子 阿倍臣(阿倍氏)の祖。
倭日向武火向彦八綱田 狭穂彦の乱乱を鎮圧した 上毛野の君の祖八綱田。
稚武彦 孝霊天皇の皇子
吉備武彦 稚武彦の皇子

その他
屋主忍男武雄心命 武内宿祢の父
武内宿祢。武振熊 和珥の臣の先祖 忍熊王と戦った武将 『古事記』では「難波根子建振熊命」や「建振熊命」と表記される。
廬城部連武彦 雄略紀に 伊勢の斎宮の栲幡皇女と通じたと讒言された。

参考文献 『ヤマトタケル』 門脇禎一
     『イタカとサンカ』 柳田國男
     『狗奴国を旅する』赤塚次郎

                               以上
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