チベットの歴史と『死者の書』

1.チベットの歴史

3-4C チベット人、チベット高原に居住。聖山カラース山(雪の至宝)の北側。

唐 618

630 ソンツェン・ガンポ王即位。チベット初の統一国家樹立。軍事的国家。

640 唐は吐蕃国王(チベット国王)に公主(皇帝の息女)を降嫁させて懐柔した。

   唐はチベットを支配したことはない。唐とチベットは和解したり戦争したり。

761 ディソン・デツェン王が仏教を国教化。

763 チベットは唐の長安を2週間占拠 宝物 美女、技術者を持って引き上げた。

775 サムイェー寺の建立。貴族の中から数人を出家 始めての僧侶が誕生。

仏教の導入に力を注ぎ、これが経済的に大きい負担となり、国力が衰退。

783 チベットと唐は、条約を結び、両国の国境線が定められる。

     中国仏教 インド仏教 固有信仰(ボン教) 三つどもえの争い。

● 中国仏教 悟りに到達するには一歩一歩着実は不要で、瞑想して深い境地に達し、そこで一瞬の契機をつかみさえすれば、一気に悟りに到達できる。

● インド仏教 悟りに到達するには一歩一歩着実にすすんでいく必要がある。瞑想は瞑想を出れば元の黙阿弥。現実世界で善行を積み重ねればいい。

インド仏教が優勢 中国文明に劣等感を持たず、チベットは中国文明に対抗できる唯一無二の存在。密教の到来。真言に近い。チベット土着の神々を制圧し、その信徒を帰依。


   各氏族は氏寺を建立。氏族長と寺の長のコンビで氏族をまとめる。

   氏族教団の経営の能力のある人材、血統で優秀な人間を確保し続けるのは困難。

   そこで、転生・活仏制度が考案された。 

高い境地に達した僧侶は、死後も涅槃に入らず、新たに生まれてくる幼児に転移させることができる。転生霊童となる。チベット固有・独特の制度。ダライ・ラマ等の選出。

五代十国の時代 北宋 南宋

元 1206

1240 モンゴルがチベットを占領することもあった。

   元の皇帝とチベット仏教界の筆頭僧侶 施主と帰依処の関係となる。

   元の皇帝がチベットを経済・軍事で保護、チベットは皇帝を霊的に守護。双務的。

1253 チベット独立。

   クビライの時、仏教の奥義を伝授。性的ヨーガに夢中。これでモンゴルの滅亡が早まった。

明 1366

   チベットから徴税はしない。独立の維持。

   仏教に帰依すると凶暴ではなくなる。平和主義。明はモンゴルへの布教を応援。

   明の後期の皇帝 第六代から十一代 は性的ヨ−ガに強い関心、実践した。



清 1636

   意識は元の再来。チベットとの関係はモンゴルとの関係に戻る。施主と帰依処。

   オイラートのグシ・ハーンがチベットを統一、中央をダライ・ラマ五世に与える。

1642 ライ・ラマ五世がチベット統一。

1653 清のしつこい要請に応じダライ・ラマ五世が清朝の北京を訪問、順治帝から大歓迎を受ける。

   西天大善自在仏・・・達頼喇嘛  という称号を与える。

1696 ポタラ宮完成。五世死去(1682)を秘匿していたが、この年に発表。

   補陀落 観音菩薩が経営する浄土をさす。

   シャンバラ王は世界最終戦争に勝利し、全ての仏教徒を救う王。

   シャンバラ王をダライ・ラマに重ね合わせたい。

ポタラ宮



1696 ダライ・ラマ六世就任。放蕩三昧だったが、民衆にすごい人気があった。

     徳高いラマのみもとに、教えを求め訪ねてみても

     心はそこにとどまらず、愛しき人を求めて逃げる

     ラマのお顔を瞑想しても、心に何も浮かんでこない

     愛しき人の顔ならば、想わなくても浮かんでくるのに



1720 清がラサ侵攻。

    乾隆帝、ダライ・ラマ選定方法にに介入。チベット仏教を清の国教にした。

1788 ネパールがチベット侵攻



19世紀のダライラマは平均寿命18年、暗殺が横行した。

ラマが成長するまで、名代が努める。賄賂取りほうだいで役得大きい。ラマ成長がすると役得を失うので、殺してしまう。



1904 イギリスがラサ侵攻。

    チベットがイギリスに賠償金を払うことになり、これを清が肩代わりした。

    このことは、国際法上、清が宗主国と認められたことになりかねない。

1910 清がラサへ進駐。

民国 1911 清が滅び、中華民国建国。

1913 ダライ・ラマ十三世が独立宣言。

   これに中華民国は異議をはさまなかったので、国際法上は有効な宣言となった。

1940 ダライ・ラマ十四世即位。

ダライ・ラマ十四世




中共 1949

    中国共産党が政権樹立。
    チベットは中共の不可分の領土と宣言。

1950 中共軍、チベットへ侵攻。

   インドが独立していたので、イギリスは無関心、チベットより香港の継続を優先。

1958 漢族の大量流入。大麦のかわり小麦栽培を強制。大規模な飢餓が発生した。

1959 ラサ蜂起。ダライ・ラマ十四世、インドへ亡命。

   国際法上の常識から見ると、チベットは中共による不法な軍事占領状態にあると言える。

中共へ抗議の焼身自殺



2.『死者の書』 死後四十九日の間で、耳から聞いて輪廻から脱出し解脱に到る道案内。

人生は苦に満ちている。そこから解脱して涅槃の境地に達することを目指す。


死後の中有(死出の旅路)は三段階ある。

死の直後、死の瞬間の中有。

死後四日半経過して始まる心の本体の中有。

死後二十二日目から始まる再生の中有。



解脱、悟り、成仏、涅槃は同じ意味、煩悩から解放され、輪廻を脱し、自由で平安な心の状態を得て仏の境地に達する。



死の直後

チベット人は、死んでいく瞬間を、修行したが、あまり高いレベルまで行けなかった人でも、パッと飛躍できると考えている。なぜなら、人の心は非常に凝り固まっているが、死の瞬間に自分の心がバラバラになって、上の層からだんだん崩れていく。その瞬間にわれわれの仏性と言う隠れていたエッセンスが、基層から出てくるので、それを掴まえれば、覚り(さとり)が開かれると考える。

ダルマタ(本質・法性)があなたの前に現れます。宇宙のように広大で空虚で、光に満ちた空間、それは純粋にありのままの心です。その心の状態を自覚し、その中に安らぎを見いだす。


死にそうな状態の時に

○○よ、よくお聞きなさい。よくお聞きなさい。

今こそ、あなたが道を求めるときです。

まもなく、あなたの呼吸がとまるでしょう。

そのときに、最初の中有の強烈で美しい光が現れるのです。

この光が、あなたの命を作っていた本質です。

その光と一つに溶け合うのです。



死の中有にあるものが最初の光明を覚ったら、解脱できる。覚れなくとの、次の光明が現れる。



死の直後に

よくお聞きなさい。

心が揺らぐことのないように努めなさい。

今や、死なるものがここへきてしまったのです。

今このときに、何ものかを貪り求めたり、執着してはいけない。

○○よ、よくお聞きなさい。よくお聞きなさい。

あなたの意識を、生まれつきそなえていた、光の世界に移しなさい。

作られたものである血肉の身体を、離れなさい。

この身体は無常であり、幻であると知るべきです。



死後四日半経過して始まる死出の旅路。

死者の意識は身体の外にある。身体は焼かれてなくなっているかもしれない。

意識は自分の守り本尊(例えば観音菩薩とか五十猛とか)を瞑想する。

本尊は、抽象的なもの。実体はない。池に写った月のようなもの。

観音菩薩像



一日目 大日如来(毘廬遮那)

これを行うと、すざましいほどに眩い第二の光が見えてくる。大日如来の胸から放射されてくる。これは叡智をあらわす。自分の内面が輝く光として見えてくる。これと融合しなさい。



源信『往生要集』 阿弥陀仏の名号を称えるだけではなく、姿を心眼に見ることが、阿弥陀仏の来迎を期待できると言う。同じ様な意味。阿弥陀仏は無量光寿で、まばゆい光の仏である。



この日から14日間、7つの幻影が強烈な光と弱い光の組み合わせで現れて来る。

二日目 金剛薩捶 三日目 宝生如来 四日目 無量光如来 五日目 不空成就如来

十四日目にはヤマ王(閻魔)が出現する。解脱か輪廻の審判が下される。

四十九日まであるが、十四日目にはヤマ王(閻魔)が出現する。輪廻の行き先などになる。



神奈備の霊魂論

霊魂は身体にある時は意識である。脳の皺として存在し機能している。膜の上で表現される。

身体から離れた霊魂は、やはり膜であり、ホログラフーィを形成していると思われる。

なぜなら、我々は膜では三次元を認識できる。これはホログラムの機能である。

知覚は膜 視覚は網膜、聴覚は鼓膜、触覚は皮膚、嗅覚は粘膜。

  特に、視覚は網膜で、膜であるスクリーンで映画を見て脳内で立体を構成できる。

膜である霊魂は人間と同じように視覚、聴覚、などをそなえていると見ていい。

霊魂は膜であり、極めて薄い厚さゆえ、三次元の我々からは透明である。すなわち見えない。

 ベルト状でぐるぐる巻いているように思う。


性的ヨーガ 菩提心;仏道を求めて修行する基本的な心。

菩提心が頭頂から頸に到達したとき、空の快楽が生じ、明るく澄み切った秋の空に月光が充満するような、白いヴィジョンが現れる。
菩提心が頸から胸に到達したとき、極空の快楽が生じ、明るく澄み切った秋の空に太陽が昇ったたような赤いヴィジョンが現れる。 虚空。空だから全てが存在できる。

菩提心が胸から臍に到達したとき、一切空の快楽が生じ、明るく澄み切った秋の空が暮れなずんだような、どす黒いヴィジョンが現れる。 全ての存在は空である。

最後に、菩提心が臍から男根の先頭に到達したとき、倶生の快楽が生じ、圧倒的な光のヴィジョンが現れる。 仏の境涯に至る大楽

これらの体験は、解脱への道を妨げている障碍の垢を清める働き、となる。

気の動く通路
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寂静尊マンダラ
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憤怒尊




『チベット死者の書』川崎信定訳 ちくま学芸文庫

『チベット死者の書』河邑厚徳・林由香里 NHK出版

『裸形のチベット』正木晃 サンガ新書

『三万年の死の教え』中沢新一 角川文庫

以上
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