越後神社
京都市中京区醒ヶ井通六角通上がる
鳥居
交通
地下鉄二条城前 南へ350m ゼンリン
祭神
弁財天・福鷹龍神
並祀 福徳稲荷大明神
福鷹龍神社殿
由緒
神社の名は町名に拠る。室町期に杉若越前守と言う武人が住んでいたことによる。
その後、当地一帯は浅井長政など諸大名の所有を経て、幕末には丹波篠山藩青山家の京屋敷となった。参道を通称青山露地と呼ぶのはこれに因む。その屋敷の鎮守社が連綿と引き継がれ、今日の越後神社となった。
また当地は廣瀬備治翁遺跡としても知られている。明治一〇年、代々手描友禅の名工であった廣瀬治助(備治)が型紙と色糊を組み合わせ、試行錯誤の末「写し友禅」を創栄した。同二一年頃、当地に染工場を建て、境内の泉水を使い、大量生産を行い、今日の友禅染普及の基礎を築いた。それ故染色に携わる人々からは友禅神社とも呼ばれている。当町では、備治翁の偉業を称え、顕彰祭を毎年四月に神社の例大祭と共に挙行している。
福徳稲荷大明神
たたずまい
昔日は三百余坪あった鎮守社の池も大半が埋め立てられ、変容を遂げたが、町民からは親しみを込めて「弁天さん」と呼ばれ、内外を問わず畏敬崇拝されている。
迷路のような入り組んだ奧の突き当たりに鎮座、徐々に池が埋め立てられていった様子がそこに残っているようだ。
福鷹龍神と福徳稲荷大明神の祠の間におまつ地蔵が鎮座。
おまつ地蔵
お祭り
4月 例祭
京都山城の神々
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H20.10.15 |