地祇神社
京田辺市普賢寺下大門65 地図
鳥居
交通
京田辺駅・新田辺駅からバス普賢寺下車く
祭神
大国主命、大山祇命、活気長足比売命
社殿
由緒
延喜式神名帳の綴喜郡に記載の地祇神社に比定されている。
チノキ、クニツヤシロ、クニカミ、ツニツカミなどと訓じられる。
社伝では。もと観音寺の北東の山手にあったが、天文年間(1532〜)に現在地に遷った。
普賢寺大御堂の鎮守社と称された神社は二つある。権現大明神と地主権現である。または地祇ノ神社は権現大明神、地主権現は式内社とあり、どちらが式内社の地祇神社が定かではない。
祭神については、御霊天皇として継体天皇を祀り、山王権現として神功皇后をを祀るとある。この付近には継体天皇の筒城宮が設けられ、また一体は息長一族と関係の深い地域であることによるもの。結果として地主神の大国主命、山王権現の大山祇命、さらに活気長足比売命の三神となっている。
美しい苔の向こうの社殿
たたずまい
社殿は板葺の流造で、瓦葺の覆殿の中に鎮座。周辺には緑の苔がむしている。摂社の祠が二社あり、祈雨神社と稲荷神社である。
鎮座地は観音寺(大御堂、普賢寺)の境内の西側の小高い丘。観音寺は天武天皇の勅願で義淵僧正が親山寺(筒城寺)を建立し、奈良時代に聖武天皇の勅願により、天平十六年(744)良弁僧正が再び造営し、伽藍を増築、親山寺を取り込み、息長山普賢教法寺と号し、良弁の高弟実忠和尚を第一世とした。またその時に大御堂本尊として丈六観世音を安置したと言う。この観世音が今に伝わる十一面観音立像(国宝)であると伝える。このっ像は等身大の木心乾漆造であり、少年のような初々しい顔立ち、引き締まった肉付きの良い体躯など、天平彫刻の緊張感がある。(境内説明板による)
摂社
大御堂
お祭り 10月18日
『寺院神社大辞典 山城』、『式内社調査報告』
京都山城の神々
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H19.9.29 |