福長神社
京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538

鳥居


交通
地下鉄烏丸今出川駅 南西へ200m mapfan


祭神
福井神、綱長井神

社殿

由緒
 祭神は神祇官の西院に祀られた座摩巫の祭る神五座の内の二座。聚楽第の敷地内にあったが、廃第後、現地に遷したと伝えられ、水神として崇敬されている。

 座摩巫祭神五座とは、生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神である。
 摂津国西成郡に式内社の
座摩神社があり、難波の高津宮に奉祀した座摩神の後裔である。

本殿

たたずまい
 狭い敷地で、社殿も二尺X三尺の小さな祠であるが、町内住民は当番を決めて毎月朔日、十五日の献灯を欠かさず祭られていると、『式内社調査報告』(昭和五十四年発行)に記載されている。

お祭り 11月 8日 例祭

平成祭礼データから

 縁起(水神)謹んで按ずるに当社はもと一条猪熊に鎮座ましませる座摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)の中 豊太閣 聚楽邸を起さるる際し(天正十五年)福井綱長井の二坐を合祀し、其の二字を取り福長大明神として当町に遷されたるものなり。

 (神社記録)往古 諾冊 二神 多くの神を生み、萬物を掌るべき を分かち授け給ふ、其の中 生井、福井、綱長井、三社の神、御井の神として吾人の飲料を守護し給ふ。我国唯一無二の水神なり。

 (大日本神祇史 人皇六十代醍醐天皇 御宇 今を去る千百余年前)延喜式修せらるるに及んで大いに神祇祀典の制度を明らかにせられし時、朝廷の記録に載せらるる神社三千百三十二座、其祭神に依て大、中、小の別を立て奉幣の数を定めらるや当社は実に中祀に属し奉幣の儀式最も厳かなりき。然るに時世の変遷に伴ひ、報本反始の観念衰ふると共に廃頽を来たし今や僅かに告朔のki羊も営なまざる微小の祀社の存するに至るなり矣
  以上
 (注)kiは食扁に氣

『式内社調査報告1』

京都山城の神々

神奈備にようこそにもどる

H17.4.22
inserted by FC2 system