厳島神社
京都市上京区京都御苑6

九条池に浮かぶ


交通
京都御苑南西角 mapfan


祭神
市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命
合祀 祇園女御(清盛公母儀)

鳥居

由緒
 祭神厳島三女神は往昔平相国清盛公が安芸国の佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬が余り摂津国菟原郡なる兵庫築島に社を設け大神を勧請し給う処の神霊を後故ありて此の拾翠池の島中に移転遷座し奉ることとなる。濫觴年代等天明八年(1788)京都大火の砌当社の旧地悉く焼亡し詳ならず。此の地公爵九條家の邸内に属せしより自ら同家の鎮守となる

 破風形の鳥居(重要美術品)
 社前の鳥居は、平清盛公兵庫築島の同神社に建てられたもので第百四4代後柏原天皇の御代永正の頃(1504〜)足利家の管領細川武蔵守高國 有名なる京都の彫刻師後藤氏の邸を掠奪して住居として居たが、大永元年三月(1521年)足利十二代将軍義晴公播磨國より上洛して暫くこの邸に在留の際 取り寄せて庭前に建て置かれしところ足利市滅亡の後徳川家康公後藤氏に所領を下賜の沙汰あり望に任せて後藤氏を右邸に復住せしめたるが慶長九年(1604)徳川家康公此邸に立ち寄らせ給ひし折御覧あり該鳥居の古雅なる形を深く愛玩し給ひし事ありてより以来京都所司代の交代毎に必ず巡見すべき物件となり明和八年三月(1771年)後藤法橋玄家の代に内大臣九絛道前公(芳盛光院殿)鎮守の厳島神社由来有るにより當時所司代阿部飛騨守正元(武蔵國鷹忍城主)を以て幕府に懇望し給い當神社に復帰す 之は最も世に類例なき姿にして則ち破風形の鳥居と称し 昭和十三年六月文部省より重要美術品に指定される。
 京都御苑   厳島神社

社殿

社殿

お姿
 御苑の中だけに、木々が豊かであり、また池もきれいである。
 本殿背後の建て屋内に神木があるのは珍しい。

本殿の神木

お祭り 6月 15日 例祭   11月 15日 秋季例祭

『平成祭礼データ』

縁起書
祭神嚴島三姫命は往昔平相国清盛公安芸の国佐伯郡に坐す嚴島大神を崇敬の余り摂津の国菟原郡兵庫築島に一社を設けてこの大神を勧請し給し処の神璽にして側らに清盛公の母儀祇園女御を祀る後故有りて此の拾翠池の嶋中に移転遷座し奉るところなり(濫觴年代)等天明八年京都大火の砌当社の旧地悉く焼亡して詳ならず、此の地旧公爵九條家の邸内に属せしより自ら同家の鎮守となる(年代不詳)
破風形の鳥居 神前の鳥居は破風形と称し昭和十三年六月文部省より重要美術品として指定される。
 以上

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