繁昌神社
京都市下京区高辻通室町西入繁昌町308

街中に鎮座

交通
阪急烏丸南西400m高辻通 mapfan


祭神
市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命

由緒
 班女ノ社ともいう。
 『宇治拾遺物語』巻三に「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」と云う説話があり、遺骸を運び去ろうとして葬ろうとしたが根の生えたように動かないので、そのまま埋葬して塚をつくった。」、やがて、「いかなることにか、この塚のかたはらちかくは、下種なども、え居つかず。「むつかしきことあり」と云つたへて、大かた、人もえ居つかねば、そこはただその塚一ぞある。高辻より北、室町よりは西、高辻おもてに六七間斗が程は、小家もなくて、その塚一ぞ、たかだかとしてありける。いぁにしたることにか、塚の上に神のやしろをぞ、一いはひ据えてあなる。此比も今にありとなん」とあり、この女を班女塚といったらしい。
 もと針才女(実は弁財天)を祀るものであったが、音が似通っているため繁昌と誤伝した。

鳥居

たたずまい
 下町風の市街地に鎮座、すっかり小さい社域になっている。本殿はいい雰囲気が出ており、由緒を感じる次第。

本殿

班女塚 

班女塚

お祭り

 5月 20日 例祭

 

『平成祭礼データ』 繁昌宮について

 当神社の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たきづひめのみこと)の3神であり、世に弁財天と申して7福神の一人で家内安全、商売繁盛の守護神とされています。
その往昔、凡そ一千余年以前(第56代清和天皇の貞観年中)当境域は藤原繁成と言う武将の館がありしところにて、館内に大なる功徳池と名付けし池があり、その中央の小島にその後(延喜の御代)安芸の宮島に鎮まる大神等を勧請し、この地(現在の高辻新町)に御鎮座になったと伝えられて居ります。 然して往時より朝野の崇敬が深厚であり、いつしか周辺はその後の永き歳月を重ねる間、種々の時代の災事により改変したとは申せ今に至る迄その御神威の赫々たることは言を俟ちません。
斯くの如く霊験あらたかな大神の御璽(みしるし)を戴いて日夜の奉拝を通じ、そのお蔭をお受け下さい。
以上

京都山城寺院神社大事典(平凡社)

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