隼神社・元祇園梛神社
京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2

鳥居


交通
阪急四条大宮駅 西へ700m mapfan

祭神
建甕槌神 配祀 經津主神

社殿 向かって左は元祇園梛神社 右が隼神社

由緒
 朱雀院の南西角に石神神社と隼神社が祀られていたそうだ。 延喜式神名帳には「京中坐三神」の一として「左京四条坐神一座隼神社」と記されている。
 当社以外の二座とは、左京二條坐神社二座で、太詔戸命神と久慈眞智命神。

 隼をハヤクサと訛り、瘡神(くさの)とも言われて、土団子を供えて瘡毒平癒を祈願したものもいたようだ。

隼神社の祭壇

元祇園梛神社
 素盞嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉尊、誉田別尊などを配祀する。
 貞観十一年(876)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素盞嗚尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行ったが、この時その御輿を梛の林中に置いて、祀ったことがこの神社の始まりであるという。
 後に神霊を八坂に遷祀したとき当地の住民は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して御神を八坂に送った。これがのちの祇園会の起源といわれる。また当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。
 維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、明治七年と昭和四年の復興を経て現在に至った。

梛神社の祭壇

たたずまい
 四条通りの南側に鎮座している。さらに南には京福嵐山線が通っている。
 鳥居は北向きであるが、東側にも鳥居があり、元祇園梛神社の石柱が立っている。実際にはこちらが正門であったのかも知れない。

お祭り

 隼神社 11月17日 例祭 
 梛神社  5月17日 例祭 

『平成祭礼データ』式内隼神社

延喜式に據れば左京四条に坐す神一産隼神社と曰うとあり、京中に坐す神三座の内にて貞観二年六月十五日朝廷より従五位下の神階を贈られ七年、十年、十六年、級階を累進して従四位上に位す。天慶三年九月四日従三位を給はる延喜の制に大社に列し四度官幣を受けたことは延喜式、三代実録、日本記略等の正史に記載されてあります。往昔は壮厳な大社であることが明白であります。

『平成祭礼データ』元祇園梛神社

 清和天皇貞観十一年京都に疫病盛に越る故に悪疫を薙はらい病を鎮めるために(素盞鳴尊)の神を播磨国広峰より勧請して四条の坊城へ神輿を入れ奉られる。此の地に数万本の梛の木あり源某と言う人が此の地に居住し神霊を朱雀大路に近い梛の林中に祭祀尊を斎き奉る。

『京都・山城 寺院神社大事典』平凡社、『平成祭礼データ』神社本庁

京都山城の神々

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H17.12.16
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