平野神社
京都市北区平野宮本町1

東の鳥居


交通
京福電鉄白梅町下車北へ15分 its-mo
バスも多い。


祭神
今木神、久度神、古開神、比賣神

摂社
縣社「天穗日命」、八幡社「品陀和氣命」、稲荷社「倉稻魂命」、蛭児社「蛭兒神」、住吉社「住吉社」、春日社「天兒屋根命」、鈿女社「天鈿女命」、猿田彦社「猿田彦命」

由緒
 『延喜式神名帳』に葛野郡の平野祭神四社とある。不思議な表現であるのは、神々が解け合った神社と言う状態ではなく、 とにかく四柱の神を祀った場所と言う程度だったのかも知れない。
 今木神とは今来で新たな渡来を意味し、大和国には今来郡(高市郡)があり、渡来人が蕃神を祀っていた。平野神社の今木神とは桓武天皇の母親の高野新笠が百済王族の出であり、 この百済王をして今木神として祀ったとも考えられている。

 久度神は北支から半島にかけて信仰されている竈の神の流れをくむとされる。

 平安京にはその造営に秦氏、また桓武天皇を支えた百済王子孫などが大陸の八方位神の信仰を持ち込んでいる。 平安京内裏の守護神としての方位神とは、秦の始皇帝が泰山・梁父山で封禅の星祭を再興したとき、兵主・地主・天主・日主・月主・陽主・陰主・四時主の八神である。

 秦氏の構想であろうか。四時主は松尾大社や伏見稲荷の四大神と思われる。中島博士によると衣笠山はこの内の天主神が祀られたようである。これは清水寺内の地主神に対応している。北の陽主神の座は上賀茂の雷丘、南の陰主神の座は桂川と鴨川の合流点・塔ノ森、兵主神の座は若王子神社、日主神は日吉大社、月主神の座は松尾の月読神社。

本殿


たたずまい
 北野天満宮の境内を北側に出て西に行くと平野神社の大きい朱の鳥居と大きい社叢が見えてくる。 静かな境内は冬の木立の中で煙っていた。春日造の本殿四座が並んでいるのは壮観。

 


お祭り
  4月 2日 例祭

平野神社の略記(平成祭礼データ)神社本庁

 延暦十三年(七九四)、桓武天皇の命によって当地(衣笠の地)に御鎮座。平安遷都に際し、御生母高野新笠姫を中心とする新進の大陸文化を導入した人々が平安の都づくりに優れた技術を用いた功績は多大であった。更に遷都後は外の護となったこと等に対して天皇の御親祭をみたもので、「延喜式」に皇太子みづから奉幣される定めになっている延喜式内社の名神大社。平安中期以後は二十二社の五位として、伊勢・賀茂(上・下)石清水・松尾につぐ名社であった。

 また源氏・平氏・高階・大枝・清原氏・中原氏・菅原氏・秋篠氏等 八氏の祖神として崇められてきた。明治四年官幣大社に列し、洛西の総氏神と仰がれている。

 現在の本殿(四棟)は、慶長三年・同九年、平氏の末裔で公家の西洞院時慶卿によって再建されたもので、「平野造り」または「比翼春日造り」と稱せられ、重要文化財。拝殿は、東福門院寄進によるもので「接木の拝殿」として有名である。掲示の三十六課歌仙は寛文年中、平松時量卿の寄進にして、その書は関白近衛基熈、絵は海北友雪。
以上


京都山城寺院神社大事典(平凡社)、白水社『日本の神々5』

公式平野神社
京都山城の神々


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