消された覇王の説明
賀茂別雷神と饒速日命が同一神であるとする論拠は三段構えであり、以下の通り。
別雷神は大歳神、大歳神は火明命、火明命は饒速日命と同一と言う組立である。
一段目(別雷神=大歳神)
静岡市七間町の別雷神社の祭神と由緒
応神天皇の御宇四年四月、勅により創建され、御祭神は別雷神、玉依比賣命を奉祀し、例大祭は五月十四日である。
往古大歳御祖皇大神を祭ったと言う。大宝三年創市の「安倍の市」と称する物資交流の中心地として鎮座地附近は繁栄したところで、その守護神として「安倍の市人」らが奉斎したのである。以下の由緒は772年以降の事ゆえ省略
これから小椋さんは大歳御祖皇大神と筆頭祭神の別雷神を同一神と読みとる。
二段目(大歳神は火明命) この段の論理が小椋さんの真骨頂。
京都市大原野灰方町に鎮座する大歳神社の祭神と由緒
主祭神は大歳大神、石作神と豐玉姫命が配祀されている。祭神は大歳神で養老2年2月の創建と云う。延喜式神名帳に記され、山城國鎮座社の式内大社に列せられていた。この境内は柏の森と称し社を柏の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。
相殿に石作神と豊玉姫命を祀ってある。石作神に代々石棺などを造っていた豪族の祖神であり、火明命の後裔である。垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し石作大連公の性を賜った。
石作連を祀った石作神社は延喜式神明帳に記され、貞観元年従五位下に昇格している。大日本史に石作神社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、当社に合祀さられたものである。
小椋さんは、大歳神社の祭神が石作造の祖神であり、祖神は火明命であるから、大歳神は火明命と同じ神を言うとする。
三段目(火明命は饒速日命)
火明命と饒速日命とを合成した天照国照火明櫛玉饒速日命の神の存在をもって火明命と饒速日命を同一神としている。 この名の神を祀っている神社は多いし、由緒にも同じ神としている神社も存在する。 |
神奈備の見解
一段目 この由緒は、かっては大歳御祖皇大神を祀っていた、しかし、現在は別雷神と玉依比賣命であると素直に読む所であろう。
先ず、小椋さんは大歳御祖皇大神は玉依比賣命とは言わない。片手落ちである。
この神社の近くに、式内社の大歳御祖神社がある。現在は、神部神社 浅間神社 大歳御祖神社の三座をまとめて静岡浅間神社となっている。
ここの大歳御祖神社の祭神は「大歳御祖神 配祀 雷神」とあり、由緒は別名を奈吾屋大明神と言う。祭神の別名を神大市姫命と申し、往古の安倍の市の守護神である。農・漁・工・商業等諸産業の繁栄守護の神として信仰される。
おやおや、奈吾屋大明神とすると、尾張国一宮と言われる真清田神社と思われ、祭神は天火明命(饒速日命と同神か)、大己貴命または国常立尊とされる。
小椋氏の推理には疑問がつくが、祀った安倍氏と物部氏との関係、また真清田神社との関係からは、大歳=火明説はにおわないでもない。
なお、神大市姫命は大山津見神の子神ともされるが、大年神社の祭神として大年神と共に、もしくは単独で祀られている場合が多い。男神に対する女神なのか、大年神とは女神だったのか、または「市」の文字からきているのか、今後の考証が必要。
二段目
小椋さんは別に存在していた石作神社が大歳神社に合祀されていると言う記録を見ているはずである。 それをとばして、いかにも大歳神が石作造の祖神であるかの如く装うが、この神社の祭神と由緒はそのような事を語っていない。
合祀されて配祀神となっている石作造の祖神が火明命である事は定説である。これを利用して、小椋さんは、火明命を大歳神とすり替えている。入手した由緒のうち合祀の所の氏にとって都合の悪い所を隠して、推論にあう部分だけを切り離して著書に出している。
三段目
物部氏と尾張氏の遠祖を合わせた神である。母系と父系の過渡期のような気がする神名である。 大奈母知少比古奈命と合成された神名が常陸の大洗礒前薬師菩薩(明)神社の由緒にあったが、この神々が同一神だろうか。
この神社では祭神を大己貴命、少彦名命の二座として分けている。
天照国照火明櫛玉饒速日命と言うこの仰々しい神の名は、どう見ても後世の思惑をいれた名であって、始源の名とは思えない。
饒速日命や火明命はそれぞれの氏族が統合されていく段階で、祖神や遠祖として構想されてきた物であり、一緒だ、違う神だと言った所で、詮無い事ではあるが。
そう言う意味では、結論を頭から否定してしまうつもりはない。推論の進め方の問題、由緒の解読の問題、由緒を正しく示す態度の欠如などは、非難されるべきことでしょう。
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