出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町千歳出雲


御影山 国常立尊の鎮る聖域。


交通
JR山陰線亀岡駅または千代川からバス its-mo


祭神
大國主尊、三穗津姫尊
摂社
上の社 素盞嗚尊 奇稻田姫命
笑殿社(わらいどのしゃ)事代主尊、少那毘古名尊
崇神天皇社 など

鳥居と拝殿




由緒
 丹波国桑田郡の式内名神大社。

 神社の栞から一部引用しておく。
 我が国神祇道に正史として伝える国常立尊が丹波の国、或いは亀岡の祭神となっていたものと思われる。 太古において国常立尊は天が下に下り、”田場(たにわ)”の真伊原にましまして桑田の宮(出雲の宮)を築かれ、国の半分を農業を主にして理想的に統治された。 国常立尊は薨じて後に田羽ー田場ー出雲御神体山に葬られ、そして出雲毘女皇女らによってその御神体山の麓の祠に祀られる。 この出雲毘女は後に三穂津毘女と諡されて、出雲大神と呼ばれるようになった。

 富士浅間神社などに伝わる古記録に基づいての論述であるが、『日本の神々7』で、当社の祭神については三穗津姫尊を主神とする説もあると記載されている。

 当社の起源であるが、元出雲との呼称もあり、出雲国のあの杵築大社より深淵の神社との主張もある。 この盆地については湖であったのを開拓して農地を造った神々がおられ、往古からの開拓と治水の歴史があるようで、日本海側との交通の要衝にもあたり、 秦氏が入って開拓しているようだ。秦氏の出雲簒奪計画があったのかも。

本殿



社殿





お姿
 亀岡の盆地は実におだやかなたたずまいである。訪問・参詣は梅雨の末期の曇り空の日であった。田には真っ白い鳥ー多分鷺だろう、 鷺は自分が詐欺と同じくサギと呼ばれていることを知らないと言うーが見え、優雅に舞っていた。

 出雲大神宮の本殿背後の周回道などのは大小の磐座があり、古い信仰の跡を示している。


上の社



上の社の相当上方の磐座



春日社の磐座




お祭り

 10月21日 例大祭

 

『平成祭礼データ』

 御祭神 当宮では二柱を合わせ特に出雲大神、出雲太神宮(日本書記)、出雲神社などと称へ奉り建国の所由によって元出雲といわれる。従って縁結びの神ということも当宮を指すのである。鎌倉時代以後婁々京師の争乱つづき広大なる神領は失われ(愛宕神社の愛宕山もその領域大原神社の小塩山は飛地社領)由緒も埋れた。

 兵乱のない島根半島の大社は国譲りました大国主大神御一柱を祀る慰霊の社にすぎない。そこでは六十年毎にお建替へが行われるが愈竣功なると神火は丹波よりということが一般に信ぜられている。

 社殿創立 現在の社殿はその様式全国第一の古重要文化財に指定されている。

 丹波国一之宮。延喜の制名神大社。明治之制国幣中社。

 宮司家には「千年の火」を伝うといわれている。粥占祭大護祭などの神事に用いられている火が特に尊ばれている所以である。
 



公式出雲大神宮

京都の神々



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