首途八幡宮
京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1

鳥居


交通
千本今出川角から東300m北へ上る西側 its-mo

祭神
譽田別命、多紀理毘賣命、市寸嶋姫命、多岐津比賣命、息長帶比賣命

二の鳥居

由緒


 高倉天皇承安四年(1174)源九郎義経が旅立ちの首途にあたり宇佐八幡宮の神霊を勧請、鎮められたのを創始として首途八幡宮と称する。
 王朝華やかなりし頃、御所の北東隅に位し皇城鎮護として重んぜられ皇后様方の尊崇う厚く桃園親王の旧跡として知られ、境内地も広く池あり、築山あり、桃の木多く花爛漫と咲き満ち稚児舞いの奉納等ありその情景は絵巻物の感ありて諸人の崇敬厚く神験も広く畿内外に及び古来神威裂んな神社でとして神徳をたたえられている。

拝殿

たたずまい
 細長い境内であり、突き当たりの拝殿や本殿は若干高い場所に置かれている。ここが築山かも知れない。
 拝殿への石段は二通りあり、祭礼の際の混雑がさばきやすいようだ。中央の石段の横に摂社が置かれている。御神体は石であった。
 北側には弁財天社が鎮座。

石神社 弁財天社
 

お祭り 9月 14日

平成祭礼データ

 「首途八幡宮」は、もとの名を「内野八幡宮」と呼び、宇佐八幡宮より御神霊を勧請し祀られた社である。
 今から約八○○年前、安徳天皇寿永年間(西暦一、一八二年)に源九郎義経は、牛若丸時代、金売吉次の屋敷であったこの地で、鞍馬山を抜け出して吉次と落ち合い、屋敷近くにあった「内野八幡宮」に奥州平泉の藤原秀衡のもとへ出発するにあたり、道中安全を祈願して出立したという。「首途」とは「出発」の意味で、以来この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。
 社伝によると、この地は古く平安京乾の隅、御所の北東の隅に位置し、当時より皇城鎮護の社として重んぜられ、皇后方の尊崇も厚く、桃薗親王の旧跡としても知られていた。境内は広く、池・築山をめぐらし、春、桃の木が瀾漫と花咲く頃、桃花祭が執り行なわれた。社頭には数多くの参拝者で満ち、稚児舞の奉納等が行なわれる情景は、あたかも絵巻物を見る感がある、と伝えている。
 その御神徳深遠で、崇敬者は広く畿内外に及び、日々参拝者で盛んな賑わいであった。其後度々の兵火にあい、特に天明の災害により当宮の社殿、宝物類に至るまで悉く灰燼に帰した、との事である。
 御神徳 古くより神威盛んな社として、その御神徳がたたえられ、崇敬が厚い。

 一、旅立ち、旅行安全・・・源義経の首途に、道中安全を祈願して出立した由緒で旅立ち、旅行安全、海外旅行安全の守護神としての信仰が特に厚い。
 二、小児の虫封じ安産の神との崇敬を集めている。
 三、厄除・勝運・必勝の祈願。

以上

公式首途八幡宮
京都山城の神々

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