上桂御霊神社
京都市西京区上桂西居町48 its-mo

鳥居

交通案内
阪急上桂駅東200m



祭神
太田神、伊予親王

拝殿



由緒 

 往古、当地に住み開拓した人々が太田神を祀って五穀の豊饒を祈ったのが、当社の起源としている。太田神は猿田彦神のこと、またその子神など諸説があるが、豊作祈願の神として祀ったのであろう。

 平安時代に御霊信仰が起こり、室町時代には、疫病除けの神徳により、当社も伊予親王を合祀し、社名を御霊神社と称するに至ったと言う。

 伊予親王は桓武天皇の皇子であった。桓武天皇没後の大同二年(807)陰謀事件に連座、首謀者とされて失脚し、幽閉された大和国川原寺で飲食を断ち抗議、後に母と共に毒をあおって自殺した。
 平城天皇は伊予親王らの怨霊に悩まされ、遂に弟の嵯峨天皇に譲位してしまった。 位を譲るまでに追い込まれた はじめ反逆の首謀者とみなされた藤原宗成が尋問の過程で伊予親王こそ首謀者であると主張したため、平城天皇(へいぜいてんのう)は左中将安倍兄雄らをして親王らを捕らえ、母子を大和国川原寺に幽閉した。無実を主張する親王と母は飲食を断ち、親王の地位を廃された翌日、11月12日に自ら毒薬を飲んで命を断つという悲劇的な結末を遂げた。 そのため平城天皇は伊予親王らの怨霊に悩まされ、弟の嵯峨天皇(さがてんのう)に位を譲るまでに追い込まれた

本殿


お姿

 阪急嵐山線の東側に鎮座。摂社の北向神社、照玉神社が鎮座、境内は広くはないが、木々の茂り、いい鎮守の姿。

 式内大社の葛野坐月読神社の元地を歌荒樔田と称するが、別に河濱にありとされ、当地も桂の中心地として一つの候補地とされているので参詣した。どうやら河浜と言う立地で、水害で遷座を余儀なくされたとは思えない。

北向神社「火雷神」火災防備  照玉神社「照玉の神」難病治療
 


お祭り
 10月 18日に近い日曜日  例祭


『平成祭礼データ』lから

 祭神 太田神、伊予親王 往古山城国葛野軍上桂村を開拓した人々が、太田神を祀って五穀の豊饒を祈ったのが、当社の起源である。平安時代に御霊信仰が起こり、室町時代には疫病除けの神徳により各地に祭神を勧請するに至って、当社もまた伊予親王を合祀し、御霊神社と称するに至ったものと思われる。

 古来、上桂の鎮守神として村民の崇敬篤く、文亀2年には700余坪の社地の中三畝の御供田も所有していたことが古文書で知られる。明治6年村社に列し、戦前には三大祭に京都市から幣帛供進使が参向していた。
 以上


参考:『平成祭礼データ』

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