松尾大社
京都市西京区嵐山宮町3 its-mo

鳥居

交通
阪急電鉄嵐山線 松尾駅

拝殿


祭神
大山神、市杵島姫神
摂社 衣手社「羽山戸神」、一挙社「素戔嗚尊」、金刀比羅社「大國主神」、四大神社「春若年神、夏高津日神、秋比賣神、冬年神」、三宮社「玉依姫命」、
檪谷神社葛野坐月読神社



由緒
 古事記に「此の神は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ。」とある神である。 山頂に坐す境の神である。 
 市杵島姫神は宗像の神である。秦宿彌・秦忌寸は惟宗朝臣に改姓している。さらに薩摩の島津家、対馬の宗家は惟宗氏の出であり、宗像の神が松埼日尾(松尾山頂)に天降ったのである。 磐座があるという。大山神を斎くための降臨である。
 元々この葛野の地に住む人々が夏至の日に日枝山から昇る朝日を観察する太陽祭祀を行っていた上に、この地の支配者になった秦氏が遠祖にあたる市杵島姫神を祀ったのである。 自然神であった山の神は人格神として大山神と呼ばれるようになった。建物としての神社の創建は8世紀初頭であると推定されている。

松尾山頂の磐座 『まつかぜ19号』から


 磐座に左側に龍の頭、胴体が中央方面へ。磐座の中央下部に獅子の顔、じっくり見ますといろいろ見えますよ。 写真撮影は禁止されています。『まつかぜ19号』を頂いて下さい。登り30分、下り20分。

上古の庭の磐座


 拝殿の背後に「亀の井」と言う霊泉があり、これを酒に混ぜると腐敗しないと言われる。 このような言い伝えと秦氏に酒がつく人が出ている事等から酒の神として信仰されて来た。  坂等の境界を守る道祖神を塞の神と言うが、坂にたむける饌すなわち「坂饌」のうち酒が最も霊威を示すものであった。 山城で言えば、水の便の悪かった松尾、湿地帯であった伏見などの地域しか、秦氏が支配地に出来なかったのであろう。酒は伏見が産地である。

 秦氏は新参者であった。それだけに賀茂、日吉を尊んだようである。賀茂の丹塗矢伝説が葛野にも残っている。 秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、大井堰を作る等の治水を行い、山城から丹波を大いに開拓していった。 この開拓精神が氏族を生命力の強い集団として財を蓄積出来ていったのであろう。現在で言えば、ハイテクベンチャー見たいなものであった。

 さて秦氏に関しては見逃せない記録がある。隋書倭国伝である。開皇20年倭王あり、姓は阿母[アマ]、字は多利思比弧[タリシヒコ]、阿輩雛弥[アメキミ]と号す。 ・・略・・「日出ずる処の天子、書を日没する処天子に致す、恙無や・・」・・。文林郎裴清を遣わして倭国に使せしむ。百済を度り、行きて竹島に至り、南に[トムラ]国を望み、都斯麻[ツシマ]国を経、はるかに大海の中に在り。又東して一支国に至り、また竹斯[チクシ]国に至り、又東して秦王国に至る。其の人華夏に同じ。以って夷洲と為すも、疑うらくは、明らかにする能わざるなり。・・
 紀元607年の事である。推古天皇時、聖徳太子の心意気を表している文面として有名なくだりである。 [トムラ]は済州島であり、他も解るのであるが、秦王国とは何か。まさか台湾ではない。豊前か周防とされる。あの香春岳のある豊前か呉のある周防である。 この地も含めて秦氏は山城、河内、近江、越前を主勢力にしていた。一方では大和朝廷の忠臣であり、かたや秦王国と言われる拠点を持っていたのである。 その後の秦王国の消息は聞かない。

本殿



たたずまい


 
神奈備山である松尾山の東山麓に展開している。この山は日崎の峰、雷峰、分土山とも言う。
 桂川の橋を西に渡ると大きい朱鳥居が立つ。 車がじゃまな参道を通り、楼門をくぐる。拝殿の後ろに長い回廊があり、その向こうに本殿が鎮座する。 庭園が有名である。磐座、曲水、蓬莱の庭である。それぞれ仙郷に遊ぶ雰囲気と言うか、全国の松尾神社の神々が集うような磐座風の石を多く立てている。

蓬莱庭園



北末社 三宮神社 四大神社




お祭り

例祭  4月 2日
発御祭 4月20日以後の日曜日
還幸祭 5月 発御祭の3週間後の日曜日



女神像(伝中津島姫命)



平成祭礼データ

 当社は京都最古の神社で、太古この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って、生活守護神としたのが起源といわれます。五世紀の頃朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、山城・丹波の両国を開拓し、河川を治めて、農産林業を興しました。同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701)には山麓の現在地に社殿を造営されました。都を奈良から長岡京、平安京に遷されたのも秦氏の富と力によるものとされています。従って平安時代当社に対する皇室のご崇敬は究めて厚く、行幸数十度に及び、正一位の神階を受けられ、名神大社、二十二社に列せられ、賀茂両社と並んで皇城鎮護の社とされました。室町末期までは、全国十数ケ所の荘園、江戸時代にも朱印地1,200石、嵐山一帯の山林を有していました。
   以上

 

*1日本の神々5「大和岩雄」(白水社)
京都山城寺院神社大事典(平凡社)

公式松尾大社
京都山城の神々

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