六孫王神社
京都市南区壬生通八条上

鳥居


交通
JR京都駅西へ25分 mapfan


祭神
六孫王大神(源朝臣経基)
天照皇大御神(伊勢神宮御祭神)
八幡大神

唐門

由緒
 経基王は第五十六代清和天皇の第六皇子貞純親王の御子ゆえ、清和天皇の六孫王である。

 経基王は承平天慶年間の平将門・藤原純友の乱に際し、鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、その功により源姓を賜り、源朝臣を称することになった。
 経基王は六十四才で崩御と伝わる。遺言に「亡き後も霊魂は龍神と化して此の西八条亭の池に住て子孫の繁栄を祈らん」と。 御子の多田満仲公が応和三年(963)邸宅であった此地に葬り、社殿を建立したのが創祀である。

 北条政子や足利将軍家が代々が多くの社領を寄付して、源氏の宗社として栄えたが、足利義満の時代に社殿等はほとんど炎上、また応仁の乱によって社領を奪われてしまった。それでも祭事は続けられていたと言う。江戸時代に入って元禄十三年より徳川家と清和源氏ゆかりの諸候と共に再興に取りかかり、宝永四年(1707)に完成した。

神龍池と恋の架け橋

たたずまい
 往古は八条から九条までの巨大な神域であったが、東海道線、新幹線の工事等により、徐々に狭くなって来たと言う。

拝殿

お祭り

 10月 体育の日

神社史料(¥200)

公式六孫王神社
京都山城の神々

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