下桂御霊神社
京都市西京区桂久方町47-1 its-mo

南側の鳥居

交通案内
阪急桂駅北東800m 桂離宮西側


祭神
橘逸勢、天兒屋根命

東の鳥居と拝殿



由緒 

 創建は貞観十八年(876)、御霊神として、橘逸勢の霊を勧請した。
 橘逸勢公は橘諸兄より二代後の右大臣であった平安朝の政治家であり、また能筆家で、嵯峨天皇、弘法大師とともに三筆と称された。

 冤罪事件とされる承和の変に連座、拷問の後、伊豆へ流される途中に死亡、その後、都では 不可解なことが数多く起きたため、逸勢公の霊を都に迎え、御霊八社の内に祀ったと言う。

社殿


お姿

 東に桂離宮。豆田道の東側、阪急京都線の南側に鎮座。大きくはないが奇麗さを感じる神社。境内に樹齢四百年のムクロジ(無患子)の古木がある。果実は球形をなし、堅くて黒い種子が一個はいっており、羽根つきの羽根の玉に使われる。

 周辺は住宅地と離宮になっており、大堰川辺からの距離は約300m、往古は大堰川の浜辺であったのかも知れない。 葛野坐月読神社の元地を歌荒樔田と称するようだが、別に河濱にありとされる。当地も桂の中心地として一つの候補地と出来るのかも知れない。月読神社が松尾山の麓に遷座したのを貞観元年(859)とすれば、その後18年、御霊神社が当地に設けられたとすれば、重複はなく、元の聖地としては自然なこと。

ムクロジ


お祭り
 10月 18日 例祭


『平成祭礼データ』lから

 創建 貞観18年1月18日下桂御霊神社の祭神として勧請する(1106年前)桂光院智仁親王(桂宮)より後水尾天皇御使用の鳳輦を神輿として下賜、また後水尾天皇御宸翰「御霊宮」の勅額を下賜さる。
祭神 橘逸勢公 逸勢公は平安朝の元勲であり、またすぐれた能書家で嵯峨天皇、僧空海とともに三筆と称せられた。伊都内親王願文、興福寺銅燈台扉名は何れも公の手になる代表の書として有名である。
祭礼 もと旧暦の8月18日であったが、新暦になって10月18日となる。近年5月18日に変更する。
社格 村社 本邦御霊八社の一つである。
氏子 旧下桂村の産沙神 旧下桂村は江戸時代初期に中桂村と下桂村に分かれる。現在の桂東学区と桂学区の一部がその区域である。
 以上


参考:『平成祭礼データ』

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