宗旦稲荷神社
京都市上京区相国寺門前町

相国寺山門


交通
同志社大学東側上がる its-mo

祭神
稲荷神

鳥居と社殿

由緒 『京都・伝説散歩』京都新聞社 から


   相国寺では、いましも宗旦宗匠のお手前が終わったばかりだった。
 宗旦といえは利休の孫。咄々斎と称し、号は元叔・元伯。利休の死後、彼のわび茶を推進、千家を再興した茶人である。
 控え室に引き揚げる客の茶人たちはその見事なさばきに酔っていた。
 「いつもながら美しいお点前でござるのう」
 「あれを茶禅一味というんでござろうか」
 と、そんなにぎやかな控え室に、どうしたことか、いまお点前をしたはかりの宗旦宗匠、ふら りとあらわれていうのである。
 「みなさん、遅れまして・・・。これからお茶室の方へ・・・」
 茶人たちはいぷかった。いま、当の宗匠からお茶をいただいたばかりだ。
 「・・・おやおや、もう一度ですか?」
 「そんなことはありますまい。私はいま着いたばかりで・・・」
 お茶会はまた開かれた。宗匠のお点前は前にもまして美しかった。が、どうも様子がおかしい。しかも以後、宗日衰匠の茶会にはこんなことがしばしば起こった。
 「宗匠が二人いるのではないか」
 茶人たちも疑い出し、調べることにした。宗匠を茶会に招き、一方自宅におられるかどうか、 たしかめようというのだ。

 茶会の日がやって来た。
 宗匠は定刻前にやってきた。一人が自宅に走った。案の定、宗匠はまだ自宅にいるではないか。いまはもはや疑いない。一同ほ偽宗匠をかこんでせめた。宗匠、少しもあわてず、
 「いやバレましたか。申しわけありません。実は私、この相国寺に古くから住む白キツネでございます。日ごろ、宗匠のお点前をかげで見ておりましたが、あまりの美しさについ、自分でもや ってみたくなったのです。そこで・・・あとはご存知の通りでございます。どうぞお許しを・・・」
 茶人たちは、偽者にしては見事なお点前に免じて許した。


 この宗旦キツネ、よほど粋と見えて、また雲水にばけて修行を積んだり、門前の豆腐屋が破産 しかけたのを神通力で助けたり。おかげで人々から開運の神として畏敬を集めた。

鐘楼横


 宗旦キツネにまつわる祠は、重要文化財法堂の東、鐘楼横にある。手入れが行き届いていて、わずかに参道の飛び石に散った紅葉が美しい。
 「利休のわび茶をつぎ、茶道を確立した宗旦、それだけにいろいろの伝説が生まれたんでしょう。宗旦は実際に、にせものがいたそうですけれど、それをキツネの話として、おまつりをする・・・ よき時代の、心にゆとりある人々の風流心がしのばれますね」
 裏千家家元千宗室さんの話である。
 ツエをついた老人が近くの弁天さんから飛び石をつたってまいる。朝の日課だそうである。
 相国寺塔頭慈照院にほ、宗旦の手になる茶室がいまも残っている。

宗旦稲荷本殿

弁財天社

たたずまい
 相国寺は足利家の菩提寺として義満の発願により創建された。大規模な工事であり「ミヤコニハ、ヒノキスギノキツキハテ、ナゲキテツクル相国寺カナ」と民衆の間では歌われたと言う。
 現在の相国寺は臨済宗相国寺派大本山。万年山と号し、相国承天寺という。本尊は釈迦如来。脇士に阿難、迦葉の両尊者、足利義満像を安置する。

 寺院境内は流石に広大で松林が大きい。池の蓮は咲いている。一つ一つに蓮の名を書いた札がぶら下がっている。
 神社は清楚な雰囲気で清掃ばど行き届いている。弁財天から飛び石が通じている。

お祭り 

参考文献 京都・山城 寺院神社大事典、京都・伝説散歩

京都山城の神々

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