玉津岡神社
京都府綴喜郡井手町井手東垣内63
一の鳥居、二の鳥居
交通
JR奈良線玉水駅東へ 1550mits-mo
祭神
下照比賣命
配祀 味耜高彦根命
合祀 天兒屋根命、少彦名命、素盞嗚男命、菅原道眞
舞殿・拝殿
由緒
祭神は下照比賣命一柱だけであったが、周辺の五社を合祀して六柱となった。天神社には下照比賣命と味耜高彦根命が祀られていたので、下照比賣命は二重に祀られたことになる。
古くは椋本神社とか八王子社とか呼ばれていた。
嘉吉元年(1441)の興福寺の文書には、椋本天神の名で記され、由緒を欽明天皇元年に下照比売命が兎手玉津岡に降臨し、天平三年(731)に橘諸兄が下津磐根に遷座、文応元年(1260)現在地に遷座したとする。
社殿
本殿
たたずまい
玉水駅の南側に大きくはないが、玉川沿いに公園が出来ている。
駅から神社までの道筋に、玉津岡神社への案内板が所々にあり、便利な町。東側に北からつながる山隗があり、その中腹に建物が遠目にも見える。
参道途中に小野小町の墓がある。土壇上に四角の石が四個積み上げられている、これを小町塚と称している。小町の歌に、「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」なる句があり、また、『山城名勝志』には、或書云、冷泉家記云、小野小町六十九歳於井手寺死 などと」記されている。
本殿と大神宮社は府指定文化財、境内には摂社が並ぶ、竈神社は石を祀る。
小町塚
お祭り
4月 3日 10月15日、16日 例祭
平成祭礼データ
玉津岡神社の由来
祭神下照比賣命は、欽明天皇元年(西暦540年)8月に玉津岡の南峰に降臨された。そこに宮社を建ててお祭りしたのが「玉津岡の社」であり、玉津岡神社のはじまりである。
その後、聖武天皇天平3年(西暦731年)9月に、井堤左大臣橘諸兄公は、橘一族の氏神として、椋本天神社を創祀した。
「玉岡の社」は、「玉岡春日社」江戸時代には「八王子社」と称号を変え、現在の玉津岡神社となる。
明治11年10月5日、八王子社、春日社、田中社、八坂社、天神社の5社を八王子社殿(玉岡の社)に合祭した。
明治12年5月27日、村社となった。 明治14年7月8日、社号を「玉津岡神社」と改称した。 明治15年4月24日、郷社となった。 明治23年4月14日。有王天満宮を合祀した。
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京都山城寺院神社大事典(平凡社)
京都山城の神々
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H17.6.18 |