田中神社
京都市左京区田中西樋ノ口町1
鳥居
交通
叡電元田中駅 南すぐ ゼンリン
祭神
大國主命
摂社 「稲田姫大神」「事代主大神」「倉稲魂大神」「猿田彦大神」「玉柳稲荷神社」
由緒 境内掲示から
旧山城国愛宕郡(北区・左京区・東山区の辺り)田中村の鎮守で、古くはこの辺り一帯の社が並んだ河崎総社の地とされる。
縁結びと厄除けの神で知られる「大國主大神」を主祭神とし、四つの摂社にそれぞれ「稲田姫大神」「事代主大神」「倉稲魂大神」「猿田彦大神」を、末社
玉柳稲荷神社に「稲荷大神」を祀っている。
創建についての明かかではないが、平安時代の歴史書「日本三代実録」の「貞観五年(863)五月二十二日条」にある田中神とは当社のことであるといわれ、古い歴史が窺える。
本殿及び拝殿は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の式年遷宮の折々に譲り受けてきたものと伝えられ、寛永五年(1628)比良木社の旧殿を賜った際には青銅(銅貨)を賀茂社に奉納した記録が残っている。
応仁の乱に際し、神社を中心に「田中構」という防壁が築かれたが、文明六年(1474)に西軍の攻撃で炎上した。天文法華乱にも法華衆の攻撃で被災し、また、度重なる火災によって重要な文書類は消失した。
末社 玉柳稲荷神社は、明治十二年(1879)に氏子の要望により談合の森(現在の叡山電鉄茶山駅周辺)から遷された。霊験あらたかにして氏子の信仰篤い社である。
京都市
旧社殿の跡、二の鳥居、舞殿
お姿
国史現在社。『三代実録』に「勅撰山城国広幡神玉か神於愛宕郡伊佐弥里、以旧社近於汚穢也」とある田中神を当社とする。伊佐弥里は左京区岩倉花園町であり、妥当か。
南向きに鎮座。一の鳥居、石橋、旧社殿の跡、二の鳥居、舞殿、拝殿、本殿が一直線に並んでいる。境内には銀杏、楠の大きい木など。
拝殿
本殿
お祭り 10月 第三日曜日 例祭
玉柳稲荷神社
平成祭りCD
応保元年河崎総社の旧地に田中村氏神として弘安年間奉斎せられる。末社五座有り。
寛永五年鴨社造営の節比良木社の旧殿旧田中村氏神の社に寄付せられ今日に田中神社並に拝殿等の瓦は三ツ葉丸葵の御紋の形であります。元録五年奉行所より神社改めがあった時田中村氏神は弘安年中勧請で之に相違ない事を認められました。天正の頃よりも神供は鴨より奉仕せられておりました。
(賀茂御祖神社蔵鴨邑県纂書)
宝永三年町内に出火があり神社の重要書類が焼失した。昭和二十七年宗教法人とし京都府知事より認証された。表参道中央部に土を盛り榊を植えている所は旧社殿の跡である。
以上 |
『神社寺院大事典 京都・山城』 平凡社
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