宇治上神社
京都府宇治市宇治山田59 its-mo

交通
京阪、JR駅 平等院鳳凰堂の川向かい

祭神
應神天皇、菟道稚郎子、仁徳天皇

由緒(平成祭礼データ)
 神社の前の参道を宇治神社の境内を抜けて宇治川の畔までいくと、川をへだてた木立ちの間に力強い反りを見せた瓦屋根が見える。平等院の鳳凰堂である。丁度、神社の位置は平等院の真向かいであることが判る。
 実は、宇治上神社と平等院とは、深い関係があった。平等院ができてからは宇治上神社は、その鎮守としてあがめられ、例年の五月の祭礼には、藤原氏から神馬が奉納され、また散楽等も奉仕された。治暦三年、正三位の神位の授与のあったときには、天皇は平等院より神社に御幸されている。
 もっとも、藤原氏が宇治院を手に入れるまでのことについては、はっきりとしたことは判らない。古くは、宇治上、宇治神社の両方をあわせて宇治明神、あるいは離宮社とよばれ、江戸時代には離宮明神といわれているところからみて、陽成天皇の離宮である宇治院の鎮守として、祀られたものとの見方も成り立つ。このように、神社の古い由緒については明らかではないが、神社の社殿である本殿、拝殿、摂社春日社等の諸建物は、この社が、古い歴史をもっていること、そして高度の造型技術を身につけた人たちにより、造営されてきたことを雄弁に語っている。これらの建築は文字に書かれた歴史以上の迫力をもって我々に深い感動を与えてくれる。 拝殿のすぐ右に、宇治七名水の一つである桐原水(きりはらすい)が、今日もなお清らかな水を湧出しているが、七名水のほとんどが、かれてしまった今日、何か有り難いような気がする。
 そしてこの環境が、千年近い年数の間、ずっと保たれてきているのに、今更のように驚くのである。

由緒(寺院神社大事典(山城)平凡社)から
 宇治神社と一体で宇治離宮明神と呼ばれ、上社である。八幡社である。
 応神天皇の皇子の菟道稚郎子が住んだ離宮桐原日桁宮の跡と伝えられる。 境内には「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐座信仰に源があるとされる。

 
たたずまい
 古都京都の文化遺産として世界文化遺産に登録された。(平成六年)
 本殿は現存最古の神社建築と云われ、一間社流造の社殿三棟を一つの覆屋でつないでいる。

右本殿の蟇股はその古さがしのばれるシンプルな古様を見せている。


お祭り

 1月14日 日待祭
 5月 1日 5日間 春季例大祭
 9月 1日 1日間 八朔祭 10月14日 日待祭

平成祭礼データ(神社庁)
京都山城寺院神社大事典(平凡社)

京都の神々

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