若宮八幡宮
京都市東山区五条橋東五丁目
鳥居
交通
京阪電鉄 清水五條駅 東へ10分 ゼンリン
祭神
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后 左相殿 仲恭天皇(四才で天皇、八十一日後廃される)
摂社 陶祖神社、天満神社、白竜弁財天社
由緒 境内掲示から
平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が六條醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、左女牛八幡とも呼ばれた。源氏一族や武士からの信仰が篤く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として慶長十年(1605)に五条坂のほぼ中央に当たる当地に遷された。
現在の社殿は承応三年(1654)に再建されたものである。
毎年八月七日から十日までの四日間、若宮祭おともに陶器祭が行われた。五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう。
また、昭和六十年(1985)には若宮八幡前に、五条坂の先人及び陶器祭運営功労者への感謝の念を込めて、「清水焼発祥之地、五条坂」の記念碑が建立された。
京都市
拝殿 陶器神社 若宮八幡宮
お姿
楠、樫、槇、紅葉などの木々が目立つ。参道沿いに摂社が並ぶが鳥居の前が駐車場となっており、車のすき間から社殿前に行くとこになる。なんぼなんでもこれはやりすぎだろう。
当社へ歩いて来る途中、祇園の花街を通り抜けて来たが、摂社が駐車場にはなっていないが、摂社の名前がかかれていない割には小さい社殿でも賽銭箱が左右に置かれている神社があった。何と、あさましい姿!
当社の本殿は三間社流造の庇を取り込んで前室とし、更にその前に向拝一間を付けた前室付きの流造である。この様式は滋賀県に多いようだが、京都府では珍しいと言う。
本殿
摂社 陶祖神社「椎根津彦命」、稲荷・弁財天神社
椎根津彦命が陶器の祖神であるのは香具山の埴土を採取したからだろうか。その土で土器を造ったからだろうか。
蓬莱石の由緒
足利尊氏将軍かねてより若宮の神を深く信仰せしが病悩にかかりし折特に立願せられ、病癒え、これを祝して珍宝七種を献じ敬車せり。この石はその一つで其の形巨竃の如し。戴山蓬莱の石、良に以あるなり。云々。(蓬莱山は渤海の東に峙ち神仙不死の薬ありと古事にあり。)・・必ず神霊は之を(お加護)英士に与えるものなり・・と記してある。
蓬莱石
京都山城の神々
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