姫島神社
大阪市西淀川区姫島4-14-2


鳥居


交通案内
阪神姫島駅 北西500m



祭神
阿迦留姫命、住吉大神



由緒
 江戸時代初期には鎮座していたが、応神・仁徳朝の頃は周辺は明らかに海中であった。 記紀の記述にある難波の阿迦留姫命の日女島には比定できないが、この地にこのように姫島神社が鎮座している事は何かの由縁があったと思わなければならない。 例えば、渡来人に許された漁場であったとか、岩礁があって、そこに神を祀っていた事などが推定される。

 『摂津国風土記逸文』に「比売島の松原。昔、軽島の豊阿伎羅の宮に天の下をお治めになった天皇(応神天皇)のも世に、新羅の国に女神があった。その夫からのがれて来て、しばらく筑紫の国の伊波比の比売島に住んでいた。そこでいうには、「この島にいるならば、男神が尋ねて来るだろう」と。それでまた移って来てこの島にとどまった。だから、もと住んでいた土地の名をとってこの島に名づけたのである。」 と出ている。難波の媛島松原は大隅島とともに放牧地であった。(安閑紀二年九月)阿迦留姫命は牛を連れた男の持っていた赤玉から誕生したとの物語があるが、ここの牛の放牧から三宅吉士によって作られた神の物語であろうと、『古代の日本と渡来の文化』第二章アメノヒボコと難波のヒメコソ社神(高寛敏氏)に記されている。

 古事記には「天日槍命は、赤留比売の後を追って難波に渡来しようとしたが、渡しの神が遮ったため、引き返して但馬国に留まった。」と記載されている。 この渡しの神とは住吉の神と思われるが、まさに並祀されており、姫を庇護しているように見える。

 万葉集 和銅四年歳次辛亥、河辺宮人、姫島松原見嬢子屍、悲嘆歌
 
妹が名は 千代に流れん姫島の 小松か末に こけむすまてに 



お姿
  難波の比賣語曽社や赤留比売命社に比べて、堂々とした社域に社殿が並んでいる。

本殿



お祭り
 例祭 2月20日

 日本の神々3(大和岩雄氏)白水社、大阪府神社史資料、社頭掲示



兵主神・邪馬台国と天日槍命・赤留比賣命



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