高津宮神社地主神・比売古曽神社
大阪市中央区高津1-1-29 its-mo


交通案内
地下鉄谷町9丁目 北西600m



祭神
下照姫命(赤留比賣命)



由緒
 仁徳天皇を祀っていた高津宮神社は現在の東高津宮神社であるが、秀吉の命令でこれを比売許曽神社のあった現社地に遷座さされ、比売許曽神を地主神としたと伝わる。
 『摂津国風土記』には比売許曽の神が比売島に来たとある。西淀川区姫島に鎮座する姫島神社を比売許曽神社とする説があるが、ここは近世まで海中であった。 諸説があるが、『摂津国風土記』にいう難波の日女島(比売島、姫島)は旭区森小路付近と考えらるのが妥当とされている。 ここには大宮神社が鎮座する。応神天皇、神功皇后、姫大神、大国主命、速素盞嗚尊が祀られている。 姫大神とはいかなる神であろうか。

 祭神を下照姫命としているのは、比売許曽神(赤留比賣命)と同神とする説があることに加え、当地付近に味原地名があり、鴨大神の味耜高彦根神の降臨の地(高彦崎)の伝承や、夫である天稚彦命について来た天探女の降臨の磐船伝承が残っており、鴨一族とのつながりが語られる地だからであろう。



お姿
  高津宮の本殿の背後に地主神として鎮座する。まさに後戸の神と言える。




お祭り

 
6月11日、11月11日 比売古曽社祭

大阪府神社史資料 府社高津宮から


高津(蘆分別)
 此やしろは。仁徳天皇と。申傳て。たしかならず。おもふに。若此御榊は。比語曾の神社諦てや。おへしますらん。しからば。御神体は。大己貴命の御子。下照姫也。さあらバ。此御神と。出雲御崎榊とは。本朝和歌の大祖と也又ある説に。垂仁天皇の御時。都怒我阿羅斯等といふ人。意富加羅國にありて。あめうしに。田器ををほせて。行に忽に見えす。其跡をしるしに。たつねゆくに。牛の足跡。ひとつの村に。とゝまれり。時に。一人の翁來りて云。汝か求る牛は。此村の中に入れり。しかるを郡公とも。此牛を殺して。食せり。さて牛のぬし來りて。牛をもとめは。 其あたいになにゝても。宝物をやらんといへり。もし郡公とも。牛のあたいに。なに物をかえんと。 おもふと問はば郡のうちに。まつる神を得んと。答よとをしへり。其祭神は。白きき石なり。其後翁をしへしことくに。 こたへしかは郡公とも。白石を牛のぬしにあたへたり。其石化して。見めよきをとめとなれり。阿羅斯等。 大によろこびて。是にちきりをこめんとせしかは。終にうせさりぬ。のちに其童女。日本の難波に。いたりて。比売語曾の社神となり給へりとそ。右の説。いづれか。是なることを知らす。知者の参考に。備ふるもの也。 いにしへは。境内六町四方にて。 仁徳帝の皇居の。地ともいひ傳へり。縄の浦なとゝいふ所あり。尋ぬへし

 『日本の神々3(大和岩雄氏)』白水社

兵主神・邪馬台国と天日槍命・赤留比賣命


神奈備にようこそ
inserted by FC2 system