兵主神社(黒田庄町)
兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2 its-mo

交通案内
JR加古川線 黒田庄駅 北へ300m



祭神
大己貴命、八千戈命、葦原醜男、大物主命、清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命

随神門



由緒
 式内社。『播磨風土記』には出てこない神社であるのは、設立時期の問題だろう。
 祭神は大国主命の別名が並ぶが、清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命も素盞嗚尊、稲田姫の御子神である。

 社伝によれば、大和から播磨の国衙に赴任した岡本修理大夫が延暦元年(782年)に森林を拓いて社をつくり、 延暦三年、大和穴師の兵主神を勧請したものと言う。 穴師神社については、「左座 八千戈命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈神是也」 と『大国主命分身類社鈔』と記載されている。 中世には兵主神を八千戈命と関連付けたのである。(『日本の神々2』

 兵主神とは、漢の高祖が「蚩尤:シユウ」を祀って勝利を祈った事に由来する。 貝塚茂樹氏は兵主神とは武器製造の鍛冶屋神としている。

 兵主神の御神体が矛であることから、この神と天日矛とを同じ神と見なす千田稔氏ら見解もある。 藤原氏につながる岡本某がわざわざ兵主神を祀っているのはどう言う事であろうか? 神社名、御祭神、祀った者、すべて腑に落ちない神社である。藤原氏が天日矛の末裔であることを示しているのだろうか。 

平成祭礼データ 神社本庁から
「兵主神社勧請に関する旧記」には、天児屋根命に始まる藤原氏の系譜がまず記され、鎌足・不比等房前・真楯・内麿・「大和守長岡」(内麿の第六子。嘉祥二年八四九年没)と史書の上にもなじみ深い人物の世系が示され、長岡の子の「大和守恒岡」にいたる。
 それに続いて左のように記している(原漢文)
「従五位下大和掾恒岡は、大和国の南都の岡本に住す。臣知恒は恒岡の次男にして、ここに宝亀五年正月十日始めて播磨掾を拝す。同年三月播磨国多可郡大志野の岡城に赴く。延暦元年正月、城の南に森四町余を開く。同三年甲子六月十四日兵主五社大明神を勧請せり延暦三年十月岡本修理大夫藤原知恒誌す」
 岡本修理太夫の子孫とみられる末流は本町、氷上郡氷上町、氷上郡山南町及柏原町に住居せられているようです。
 当社は延喜式神名帳に登録された式内社であります。

拝殿


拝殿と本殿





お姿

 JRは西脇から北上する。手前に「日本のヘソ」と言う公園があった。Center of Japan と英訳されているが、これは135度の子午線上にあるからだそうだ。
 JR黒田庄駅から前方に大きい鳥居が見える。 神社は西向きであるは、東に三角点山があるが、ラインは遠く北側の山裾を示しており、形からも神体山ではなさそうである。
 神社は平地に立地している。近江の兵主大社も平地だった。和泉の穴師神社、兵主神社も平地に鎮座していた。これも不思議なことである。 要するに神体山を求める思考がなかった異国の神と言うことであろうか。
 神社の近くをうろうろしていたら、通りかかった人々がほほえんで会釈をしてくれる。何とも暖かい町であった。

 拝殿は茅葺平家の入母屋構造、県の重要文化財。
 鐘楼が残っている。

吹き抜け式の屋根の拝殿



黒田庄町

観光・文化財
 兵主神社
 十三重の石塔(木曽義仲に由来)
 多宝塔のある荘厳寺(法道仙人の創建)

自然
 植物 フウラン、ナンバンギセル、エビネ、ヤブレガサ、ウラシマソウ。サギソウ
 動物 ギフチョウ、モリアオガエル

お祭り

10月第二日曜日  例祭

 日本の神々2 白水社

兵主神・邪馬台国と天日槍命・赤留比賣命

神奈備にようこそ
inserted by FC2 system