日吉大社
滋賀県大津市坂本5丁目1-1 mapfan



交通案内
京阪電車坂本浜大津線坂本下車 西へ600m

祭神
東本宮 大山咋神またの名は山末之大主神


東本宮 聖帝造



摂社牛尾神社 大山咋神荒魂
摂社樹下[このもと]神社 鴨玉依姫命
摂社三宮神社 鴨玉依姫命荒魂


西本宮 大己貴神

西本宮 聖帝造



摂社宇佐宮 田心姫神
摂社白山姫神社(客人社) 菊理姫命

上記7社が日吉七社とか山王七社と呼ばれている。

竃殿社(大宮)「奥津彦神」、竃殿社(二宮)「奥津姫神」、竃殿社(聖真子)「奥津彦神、奥津彦神」
百太夫社「土公神」ほか



由緒
 牛尾山山頂の磐座が原始の信仰の地である。この磐座は琵琶湖を越えて太陽の昇る方向に向いており、古い日神信仰を思わせる。磐座を挟んで奥宮2座がある。 二宮である東本宮が奥宮である牛尾神社に対する里宮とされる。南の奥宮は三宮神社で、樹下神社が里宮とされる。泉の湧き出る地の上に社殿が鎮座、水信仰である。ここが里宮の創祀の地である。太陽と水、生きと生けるものすべてへの恵みの神である。里宮創祀は崇神天皇7年と口伝されている。

 西本宮は天智天皇7年大和三輪大社から大己貴神を勧請した。近江遷都の翌年である。後に天台宗と習合して大比叡宮や大宮と呼ばれた。東本宮は二宮となった。勧請神は地主神より神徳が強力であるとされ、主神の地位に座す事が多い。
 天智天皇は国と朝廷の守護神として三輪大社の神を勧請した。この時期には三輪大社の神が朝廷の守護神とされていたのである。天照大神神話が出来上がる以前であったのか。

 山王は比叡山寺(後の延暦寺)を開いた最澄の天台宗の本山である中国の天台山国清寺の護法神が「山王元弼真君」であったことによる。

 全国3800社の日吉神社、日枝神社の総本社である。



お姿
  小比叡と呼ばれる牛尾山は神奈備山である。山肌の巨岩は磐境である。


磐境 右牛尾神社、左三宮神社 縣崖造



山麓には横穴式石室を持つ古墳時代後期の円墳が群集している。豪族和仁氏ゆかりの古墳と推定されている。

 東本宮は南面、その前面の樹下神社は東向きに鎮座している。この樹下神社の神座の下には「亀井」と言う霊泉が湧き出ている。里宮の発祥の地である。
 摂社に東照宮があり徳川家康が祀られている。信長は比叡全山を焼打ちにし、秀吉は日吉三橋を寄進し、家康没後天海は日吉東照宮建立を行っている。 それで家康を大権現として祀られたのであるが、秀吉は日吉丸であり、日で吉であり、より深い因縁があるように見える。神猿が飼われているし真猿石もある。誕生も日光にからみ、神話形成の途上であろうか。

山王鳥居 神仏習合を表す。




お祭り

 例祭  3月30日 山王祭
 例祭  4月12,13,14日 山王祭


「土公神」と「道教」との関係

 長江の南、江南地方の土地神を「福徳正神」と呼ぶ。 地域や村落、山、田の守護神である。土公神は陰陽道で土地神(土地爺)の変容したもので、竃、火、田、地などの神である。
 春は竃、夏は門、秋は井、冬は庭に坐て、その季節にその方角の土木工事は避けねばならないとされた。

        以上参考−『日本史を彩る道教の謎』から−

 土地爺信仰は3世紀前半で道教には5世紀には取り入れられた。儀式のはじめに土地神に無事の完了を祈る慣例が今日まで続いている。 この神は城隍神(城壁の中を護る神、すなわち貴族や官僚の権力側の神)の配下の微力な神である。だからこそ人々に親しまれた神で、何かあれば土地廟へ行き、紙幣を焼いて祈るのが常だった。 御利益は豊作、大漁、金もうけ、治病などすべてに渡る。
 ただし土地神婦人は意地悪な欲張りだとされて人気がない。夫婦合わせて祀られることは多くない。

        以上参考−『道教の神々』から−
 





日本の神々5(木村至宏氏、谷川健一編)白水社

滋賀県の歴史散歩上 山川出版社

平成祭礼データCD 神社庁

公式日吉大社
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