櫛田神社
三重県松阪市櫛田町724 ゼンリン


鎮守の森


交通案内
近鉄 山田線 櫛田駅 東北東へ600m



祭神
大若彦命、櫛玉姫命、須佐之男命、熊野大神 ほか

鳥居



由緒
社頭石碑から
 第十一代垂仁天皇の二十二年、皇女倭姫命が皇祖天照大神御鎮座の地を求められて、当地にお成りの節、御案内役として顕著なお働きをされた大若子命を当地の守護神としてお祀りするよう御下命になりました。
 之が櫛田神社の起源で、中略、当社の社格は高く皇太神宮の所管で宮七院社十二社の巻頭三位に位置し櫛田の西方に櫛田大社として鎮座されました。
 今も此の地を社と呼びます。長い歴史の中、幾多の変遷がありましたが、 明治四十一年十二月神社合祀令により一時神山神社に合祀されました。
 然し敬神深き氏子民の願望により昭和八年二月三日当野中垣内七二四番地にお迎えそ鎮座されましたのであります。
以上

 伊勢国風土記逸文(大神宮儀式解)
 天照大神は美濃の国から廻って安濃の藤方の片樋の宮においでになった。 その時安佐賀山に荒ぶる神がいた。百人行けば五十人殺し、四十人行けば二十人を殺した。 これがため倭姫命は度会の郡の宇治の村の五十鈴の川上の宮に入り給わず、藤方の片樋の宮に奉斎した。 そのころ、荒ぶる神の所業を、倭姫命は中臣の大鹿島命と伊勢の大若子命と忌部の玉櫛命を遣わして天皇に申し上げさせた。 天皇が仰せられるには「その国は大若子命の先祖の天日別命が平定した国である。大若子命よ、お前がその神を祭り鎮めて倭姫命を五十鈴の宮にお入れ申し上げなさい」といって、すなわち種々さまざまな神への捧げ物を賜って返し遣わされた。 大若子命はその神を祭ってすっかり安全に鎮め、そこで社を安佐賀に建てて祭った。吉野裕『風土記』から
 この大若子命をお祭りしてある神社。
 また安佐賀に建てられた社は松阪市小阿坂町の阿射加神社で猿田彦神を祭神としている。当初は伊豆速布留神と称したようである。


お姿
 この辺りは一面の平野で、農作地である。所々に森があり、その内幾つかは神社のようだ。
 参詣した時には、くわえ煙草の老人が社殿を清掃していた。 当神社の御祭神は倭姫が櫛を落とされたのでこれを拾って差し上げた神との説明があった。

社殿




お祭り

神奈備にようこそ
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